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feminism matters

英語(とたまに韓国語)のクィア・フェミニズム系記事の翻訳の貯蔵庫。

このブログについて

feminism mattersはブログの主が面白いと思った英語(とたまに韓国語)のフェミニズム、クィア系の記事を翻訳し、集めている倉庫です。

 

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中絶を経験した200人の女性と話した私の連邦議会議員たちへの手紙

リプロダクティヴ・ヘルス

I Talked To 200 Women Who Had Abortions—Here's My Letter To Congress

中絶を経験した200人の女性と話した私の連邦議会議員たちへの手紙

 

And I've had an abortion, too.

そして、私も中絶経験者です。

 

2017/1/30

Melissa Madera, Ph.D.

 

原文はこちら。http://www.self.com/story/i-talked-to-200-women-who-had-abortions-my-letter-to-congress

 

連邦議会の議員たちへ

 

あなた方は私を知らないでしょうが、私は知っています。あなた方の多くが女性の再生産の権利、私たちの権利について、どう考えているのか知っています。これまでの経過からそれは明らかです。多くの人たちが行進に参加した数日後、ロー対ウェード判決(1973年、中絶の権利を認めた歴史的な最高裁判決)の44周年を迎えたその日、私はあなた達がアメリカと国外での再生産の自由に大きな打撃を与えるのを見ました。

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お行儀の良い女性大行進という神話

The Myth of the Well-Behaved Women’s March

お行儀の良い女性大行進という神話

 

2017/1/24

Jess Zimmerman

 

原文はこちら。https://newrepublic.com/article/140065/myth-well-behaved-womens-march

 

1789年10月5日、7000人を超える女性の大群——魚売り、パン屋、市場で働く女性から、郊外の婦人用帽子をかぶった上品なブルジョワ女性まで——がパリからベルサイユまでの12マイルを、ルイ16世の食料庫を開放することを求めて行進しました。この行進をパレ・ロワイヤルで計画した女性たちは、食糧不足、とくに王が数日前に護衛のために贅沢な晩餐会を開いたという噂に憤っていました。女性たちは、一緒に街を救うと誓いました。「私たちがやれば、明日にはもっとマシになる!」

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女性大行進でのアンジェラ・デイヴィスのスピーチ

社会運動 歴史

女性大行進でのアンジェラ・デイヴィスのスピーチ

 

2017/1/21

Angela Davis

 

youtu.be

 スピーチのトランスクリプトはこちらから。

http://www.cosmopolitan.com/politics/a8625754/angela-davis-womens-march-speech-full-transcript/

 

この試練の時代に、この「女性の大行進」に集まった数多の女性、トランス、男性、若者たちこそ、死にかけの人種主義、異性愛主義的家父長制の文化の蘇りを阻止する強力な力なのだということを忘れないようにしましょう。

 

私たちは歴史の作り手であり、歴史はウェブページのように簡単に消すことはできません。私たちは、今日の午後、先住民の人々の土地に集まり、大規模なジェノサイドという暴力にもかかわらず、その土地、水、文化、人々のための闘争を続けてきた先住民(first people)の後に続きます。

 

この国の歴史の性格を形作ってきた黒人の自由への闘争は、手で振り払えるようなものではありません。黒人の命は大事なのだということを、忘れさせられるはずがありません。この国は奴隷制と植民地主義の上に成り立っており、つまり、良くも悪くも、アメリカ合衆国の歴史とはまさに移民と奴隷制の歴史なのです。殺人やレイプの罪をなすりつけたり、壁を作ってゼノフォビアを広げても、この歴史を消すことはできません。

 

違法である人間なんていない。(No Human is Illegal.)

 

この惑星を救うため、地球温暖化を止めるため、そしてスタンディング・ロック、フリント(ミシガン)、ガザと西岸での、水と土地へのアクセスを求める闘い。植物を救うための、大気を救うための闘い。ここが、社会正義を求める闘いのグラウンド・ゼロです。

 

これは女性の行進であり、この女性の行進は、国家暴力の有害な力に抵抗するフェミニズムの誓いを代表するものです。そして、人種主義、イスラモフォビア、反ユダヤ主義、女性嫌悪、資本主義的搾取への抵抗へ皆が参加するよう求める、包括的でインターセクショナルなフェミニズムのあり方です。

 

そうです。最低賃金1日15ドルを求める運動に敬意を。私たちは集団的な抵抗のために尽力します。億万長者の不動産王やジェントリファイヤーへの抵抗。ヘルスケアの民営化への抵抗。ムスリムと移民への攻撃への抵抗。障害を持つ人への抵抗。警察と監獄ビジネス複合体を通じた国家暴力への抵抗。産業的なまた親密圏でのジェンダー暴力、とりわけ有色のトランス女性への暴力への抵抗。

 

この地球上のどこでも、女性の権利は人権であり、だからこそ私たちはパレスチナのための自由と正義を求めます。チェルシー・マニング、そしてオスカー・ロペス・リヴェラの解放を祝福します。しかし、私たちはレナード・ペルティエ、ムミア・アブ=ジャマル、アサタ・シャクールの解放も求めます。

 

今後数ヶ月、数年の間は、私たちの中でもとりわけ弱い立場に置かれた人々を護るため、私たちの社会正義を求める運動はより戦闘的になることを求められるでしょう。いまだに白人男性の異性愛的家父長制を擁護し、保持しようとする人たちは用心したほうがいい。

 

トランプ政権の1459日間は、1459日の抵抗の日々になります。日々の中での抵抗。教室での抵抗。職場での抵抗。アートや音楽の中での抵抗。

 

これは始まりに過ぎず、傑出した活動家エラ・ベイカーの言葉をかりれば「自由を信じる我々は、それが実現するまで休むことはできない」のです。ありがとうございました。

パン・ギムンと同性愛者の人権

クィア/LGBT

[한채윤의 비 온 뒤 무지개] 반기문과 동성애 인권

[ハン・チェユンの雨の後の虹] パン・ギムンと同性愛者の人権

 

2017/1/11

한채윤

 

原文はこちら。

http://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/778323.html#csidx94c32bdf2750dfea3d4c69bb17f737d

 

2016年7月、在韓米8軍副司令官に就任したタミー・スミス准将は、在韓米軍初の女性司令官だ。米陸軍の歴史で、カミングアウトした最初の同性愛者の将軍でもある。カミングアウト後、長く付き合っていたパートナーと結婚し、現在ともに韓国で生活している。同性婚を認めていない韓国政府は、タミー・スミス准将カップルにどんな対応をしているのか?以前、偶然スミス准将と会う機会があった。直接尋ねてみると、待遇は異性愛夫婦と変わらないという。アメリカと韓国が結んだ軍事協定で、同性愛者カップルの兵士を差別しないという約束だからである。それを聞いた瞬間、幾つかの疑問が浮かんだ。アメリカ人が韓国で享受している同性愛者としての自由と平等を、なぜ韓国人は自国内で享受することができないのか?今、国防部は軍の規律の緩みやら、戦闘力低下などが、同性愛と何の関係もないということを、自分で、タミー・スミス准将を通じて明らかに示している。それでも、軍の規律が緩むという理由で作られた軍刑法の中の同性愛者差別条項をなぜ削除しないのか?同性愛を倫理と道徳の型にはめて論じようとする傾向は強いが、それは嫌悪と偏見のトリックだ。これは明らかに、国民としての主権、市民としての平等権、人間としての尊厳に関する問題であって、政治が責任を負うべき課題だ。

 

パン・ギムンは、少なくともこの問題だけは誰よりもよく理解しているはずだ。歴代最も無能な事務総長と彼を非難する人でも、彼が在任期間中に成し遂げた業績が「女性と性的少数者の人権向上」であるという点だけは認めるだろう。しかし、唐突に奇妙な点が発見された。振り返ってみると、帰国のちょうど1ヶ月前の2016年12月12日、TV朝鮮で「パン・ギムン、私は同性愛擁護論者ではない」という単独スクープが出た。一瞬驚かされたが、コレは彼の直接の発言ではなく、最側近のイム・ドッキュ国会議員が、そのような言葉を聞いたことがあるというだけの、気の抜けるようなインタビューだった。おそらく帰国前に、予め保守陣営の支持者たちを結集させるために、「同性愛関連の事案について、急進的に進めることはないので安心しろ」というメッセージを発する必要があったのだろう。論争になることが明らかな「同性愛」イシューで予め一歩後退しつつ、同時に、もし問題が発生すれば「誤解だ」と否認するという逃げ道を残しておいたというわけだ。外国の記者たちに「うなぎのように疑惑をすり抜ける」と言われていたことを思い出せば、彼らしい動きとも言える。

 

しかし、このような事前の対策をしても「パン・ギムンは同性愛者の人権擁護者」というレッテルを取り払うことは簡単ではないだろう。事務総長としての任期10年の間、あまりに多くの証拠を自ら残してきたからだ。彼はともかく、韓国史上、同性愛者の人権擁護発言を最も多くした有力者である。非常に熱心にこの課題に取り組んだので、2015年6月26日咲フランシスコで開かれた国連憲章採択70周年記念式典で、パン・ギムン事務総長はアメリカ野津性愛車の人権運動団体である「ハーヴェイ・ミルク財団」から性的少数者の自由と平等のために活動した功労を称えるメダルを受け取ったほどだ。2013年には、ユネスコから発刊された「同性愛嫌悪的ないじめのない学校をつくるために」の韓国語版に、自身の故国である韓国の同性愛者に対する嫌悪と差別を懸念しており、これをなくすために努力したいという主旨の文章も残している。こうしてみると、彼は同性愛者の人権擁護者ではないというのは不可能だ。それでも、万一1ヶ月前のインタビューが事実であるならば、彼の名前の前に「日和見主義者」や「偽善」という修飾語が残ることになるだろう。彼は今、重要な分岐点に立っている。

 

大統領選挙に向けて、人権擁護者としての位置を捨てるならば、私たちは国連事務総長として10年間積み上げた業績を捨ててまで彼が手に入れようとしていることは何なのか考えないといけない。彼が自身の名誉を何と交換するのか、国連事務総長は退任後、加盟国のどんな政府役職も引き受けてはならないとう国連総会決議案さえ振り切って大統領になろうとする隠された理由は何なのかということを。まだ確実なことは言えないが、1つ確かなことがある。ここで説得力ある答えを出せない限り、彼の高い支持率は泡のように消えるということだ。そうでなければ、大統領候補討論会で「だから、私が大統領になると言っているじゃないですか!」と前後の文脈もなく叫んだパク・クネ大統領との違いを探すことは困難だろうから。

 

ジョージ・マイケルは挑発的なゲイ・アイコンだった。彼の人生からセクシュアリティを消してはいけない

クィア/LGBT カルチャー

George Michael was a defiant gay icon. His life must not be sanitised

ジョージ・マイケルは挑発的なゲイ・アイコンだった。彼の人生からセクシュアリティを消してはいけない

 

2016/12/26

Owen Jones

 

原文はこちら。

https://www.theguardian.com/commentisfree/2016/dec/26/george-michael-defiant-gay-icon-sex-life-lgbt-rights

 

18年以上前、ジョージ・マイケルはビバリー・ヒルズのトイレで「みだらな行為」を理由に逮捕され、アウティングされたことで知られる。すぐに、ホモフォビックな新聞による辱めを受けた。かつての中世の教会のような偽善的な道徳の説教者をきどったタブロイド紙を前に、恥辱に消耗し、屈してしまってもおかしくなかった。しかしマイケルは、そうする代わりに音楽業界に「ファック・ユー」をつきつけた。「アウトサイド」という曲で、恥ずかしげ無く彼の人間としての性的欲求を謳い、他人の偽善に宣戦布告した。セックスは自然なことだ、と「アウトサイド」は言う。普通でないのは、それへの態度のほうだ。「この世には肉と骨しかない」

 

マイケルがどんな人だったのか、一部を隠したり消したりするのはやめよう。彼はゲイ男性で、ゲイ・アイコンで、ゲイであることは彼のアイデンティティと音楽にとって中心的だった。多くのゲイ男性同様、彼が自分のセクシュアリティを受け入れるのは困難なプロセスだった。彼は自分は女性を愛していると思っていて、20代半ばにやっとゲイであることを受け入れた。それから両親にそのことを伝えるまで何年もかかった。こういう人もいるだろう。「なぜ35になるまでカムアウトしなかったのか?しかも、無理やり暴かれるような形で?」

 

カムアウトは一人ひとりまったく異なるものだ。それはゲイ男性、そして全てのLGBTの人々に、私たちを完全に受け入れることができていない社会から押し付けられたものだ。1990年代のスーパースターにとっては、カミングアウトは今日よりもずっと難しかった。British Social Attitudesの調査によれば、マイケルがカムアウトした年、イギリス人の人口の半分が、同性間の関係は絶対に、もしくは大抵は悪い(10人中4人が「絶対に」悪いと答えた)と答えており、「全然悪くない」と答えた人はたった23%だった。「セクション28」や、同性と異性間で異なる同意年齢法など、反ゲイ法はまだ健在だった。

 

カムアウトは公的な人物にとっての義務のようなものであってはならない。カムアウトは極めて個人的な経験で、人生は複雑だ。しかし、疑いよう無く、マイケルのカムアウトは、ゲイ男性にかぎらず、周りにジャッジされ、恥を内面化していた多くのLGBTの人たちの救命具となった。その経験がいかに孤独なものか、言葉にすることは難しい。しかし、そこで、誰でも知ってるスーパースターがカムアウトした。学校の女の子たち、そしてその母親たちも、彼のファンだった。

 

たしかに、彼がアウティングされたやり方は、典型的な、同性愛嫌悪の言葉に満ちた娯楽、差別主義者がその憎悪、ゲイ男性は卑しく、道徳的に堕落していると彼らが思うところを表に出す手段となってしまった。しかし、よく言うように、言いたいやつには言わせておけ。ホモフォーブは、自分たちの差別主義的な物語を補強するためになら何にでもとびつく。自分自身が何者かを知り、恐れに飲み込まれたLGBTの人々にとって、「ラスト・クリスマス」を歌った男が彼を攻撃するやつらに「自分に干渉してくるな」と言い返すのを見るのは、爽快だった。

 

1980年代から1990年代にかけて、数え切れないほどのゲイ男性がHIV/AIDSで亡くなっていった。彼らが死んでいくのを横目に、社会は、哀れみと、嫌悪と、「自業自得だ」という感覚の間を行ったり来たりしていた。マイケルは、自分の恋人アンセルモ・フェレッパが、病に苦しめられ、殺されていくのを看取った一人だった。1996年のヒット作、Jesus to a Childはその苦しい喪失についての歌で、いかに彼のセクシュアリティと音楽は、切り離すことができず、そうするべきではないかを示している。

 

ゲイとカミングアウトしていても、その意味を決めるのはしばしば未だに同性愛嫌悪的な社会のほうだ。上品にしていて、より好ましくは、見かけには性的な面をまったく見せない存在であれば、受け入れられる。もしくは、そういう暗黙の了解がある。差別主義者がゲイを迫害し始めるやいなや、Matthew Parrisが言ったように、「あいつらはヘイトをやめたことなんてない。最近のあいつらの言い方はこんなのだ。『なんで黙ってられないんだ?誰がお前がベッドでやってることなんか聞いたか?おまえの私生活は勝手だが口に出すな…』」と。

 

マイケルはこの暗黙の了解を破った。彼は付き合いを隠さなかった。彼は知らない相手とのハッテンも好きだった。「テレビをつけるだけで、イギリス社会全体が、あからさまにゲイだが明らかに性的には脅威ではないゲイ男性に癒やされてるのを見ることができる」とマイケルは2005年にガーディアン誌のSimon Hattenstoneに語っている。「メディアに出ているゲイたちは、ストレートの人たちが居心地の良いように振る舞う。なら、『俺は下品でやらしいセックス好きだ、それにお前が耐えられないっていうなら、それだけのことだ』と言うね。」マイケルはツイッターではより激しくこう言っている。「俺は自分の性生活について申し訳ないと思ったことはないし、これからも絶対に思わない!ゲイセックスは普通だ、ゲイセックスはいいもんだ!みんながやるもんでもないけど…はは!」

 

誇りを持ってLGBTの権利運動に関わり、HIVチャリティーのTerrence Higgins Trustの著名なサポーターになった男だ。他の場面でも、彼は非常に政治的だった。サッチャリズムのトラウマの時代に労働党を支持し、イギリスの炭鉱のストライキを支持した。彼の母親の看病をしたNHSの看護師たちのために無料コンサートを開いた。2003年には、Ms DynamiteとアルバムFaithをリメイクして反イラク戦争の曲をつくり、トニー・ブレアがジョージ・W・ブッシュやネオコンと組もうとするのを厳しく批判するシングル(Shoot the Dog)を発表した。

 

もうこんな声が聞こえてくるようだ。「彼を政治利用するな!」自分が崇拝する存在の、自分の世界観とは異なる側面を消してしまいたい人々の泣き声だ。しかし人の死に際して、私たちは、一部の人にとって口当たりの良いよう、見たくないところを隠した嘘の姿ではなく、その人が実際どんな人であったのかを覚えておく責任がある。

 

私たちは、差別主義者が新たに息を吹き返した時代に生きている。差別主義者たちは、反人種主義、フェミニズム、LGBTの権利をサポートする人たちにこう言う。「お前らにも自分らの党があっただろ、それはもう終わったんだ。今度は俺達の番だ」と。背を向けて、後退したくなる。しかし、1998年代にクローゼットだった10代の若者として、ジョージ・マイケルの勇気と抵抗を思い出さないではいられない。才能のある、人々に愛された音楽家。そうだ。しかし、ゲイ男性であり、ゲイ・アイコンであり、多くのLGBTの人々の暮らしを少しだけ生きやすくした人でもあるのだ。

なぜセルフケアは重要なフェミニスト的行動なのか

フェミニズム101

Why Self-Care Is An Important Feminist Act

なぜセルフケアは重要なフェミニスト的行動なのか

 

JR Thorpe

2016/12/14

 

原文はこちら。https://www.bustle.com/articles/200074-why-self-care-is-an-important-feminist-act?utm_source=facebook&utm_medium=partnerships&utm_campaign=huffpostwomen

 

私たちはBustle上でセルフケア、とりわけメンタルヘルスの管理という文脈で、よく話しています。セルフケアは、鬱や不安、その他日常の困難に直面している人たちを助ける上で非常に重要だからです。しかし、より広い文脈では、セルフケアとは、Psychology TodayのChristine Meinecke医師の素晴らしい定義によると、身勝手に振る舞うことや自分を甘やかすことではなく、「感情的、精神的なストレスの原因になるものの影響のバランスをとるため、行動を選ぶ」ということであり、それは広く一般に重要であるだけでなく、根本的にフェミニスト的な考えです。

 

フェミニスト運動のためのセルフケアという考えが広まってしばらく経ちます。たとえば、Everyday Feminismは、活動家たちが運動を頑張りながら、自分たちを精神的に健康的に、強く保つための素晴らしいガイドを持っています。しかし、セルフケアは見た目よりもずっとラディカルな考えです。この世界で女性として生きる自分を大切にするというその行為は、それだけで女性嫌悪的、性差別的な思い込みへの抵抗です。天才的な作家でありフェミニストのオードリー・ロードはかつて言いました。「自分をケアすることは、自分勝手に振る舞うことではなく、自己保存であり、それは政治的な戦闘行為です。」

 

女性として生きる自分のセルフケアという考えは、女性は他者をケアする存在であるという家父長的な規範、そして、女性の感情や痛みは些細で、注意を払う必要がなく、重要ではないものという思い込みを侵害します。あなたがフェミニストなら、自分の生活の中でのストレス(その多くの原因は女性嫌悪にあるかもしれません)を、お風呂に入ったり、散歩をしたり、良い本を読んだりすることでバランスを取ろうとすることは、政治的であることからの一時的な戦線離脱ではありません。それ「こそ」政治的な行為です。なぜか?

 

女性は歴史的にケアを与える存在であり、自分をケアする存在ではなかった

女らしさの「目的」とは何でしょうか?これはフェミニズムにとって根本的な問いの一つです。その答えを見つけることは難しくありません。過去から現在までの多くの社会や文化において、それは女性を他者に従属させ、面倒を見るようにさせるためなのです。

 

古代ギリシャの政治家デモステネスはいいました。「高級娼婦を快楽のために、女性奴隷を家事のために、妻を正統な子孫を残し、家庭を護るために。」言い換えれば、女性は男性と子どものニーズと要請に応える存在で、自分のニーズは二次的なもの(もしくは一番最後にくるもの)なのです。このシステムは法律という形もとっていました。“coverture”という概念がそれです。この概念のもとでは、結婚すると、妻の人格と権利は完全に夫のものに一体化されました。この概念は、英米法に長く有り、アメリカの一部では1960年代まで存続していました。

 

これらは広く蔓延した考え—女性は生まれつき、自分を大切にするより、他者を大切にするほうが向いている存在—のたった2つの例でしかありません。過去30年ほどの間に、私たちは多くの場合女性によってなされる、経済的に報われることのない他者をケアする仕事について語るために「感情労働」という単語を生み出しました。(ガーディアン誌に書いたRose Hackmanによれば、感情労働とは「繰り返しなされる、大変なのに価値を認められない、ジェンダー化された行為。」)女性は、育てられる人よりも育てる人と考えられ、それによって多くの制限を受けています。女性は給料が不当に低くても看護やサービス業といった「ケア」産業に行くのが当然で、より感情労働を必要としない他の分野、たとえばSTEM[科学・技術・工学・数学]には向かないものであると言われます。

 

もし、「でも女性はそういう分野が得意というだけでは」とあなたが思うとしたら、それは必ずしも常にそうではないと言っておきます。ある研究によれば、ジェンダーによる期待は、子どもたちが社会化していく方法、とりわけ感情について、大きく影響をあたえると明らかになっています。言い換えれば、女性は幼いころから他者の感情により敏感であるように、男性は自分の感情を抑えるように、訓練されるのです。より男女平等な社会では、この感情的なバランスの悪さも目立たなくなります。

 

この文脈で、「私は自分を大事にする」ということは、極めて抵抗的な行為です。それは、女性はまず第一に他者の感情的・実際的なケアをする存在であり、女性が自分自身のため、自分のキャリアや健康のために時間をとることは「悪い」「怠慢」だという、何世代にも渡って繰り返されてきた文化的なトレーニングに抗うことだからです。

 

運動は強い闘士を必要としている

セルフケアの欠如は、自分のニーズをいつまでも最後に回し、無視し、そのための余地をなくし、自分の欲望が重要なものであるという考え自体を押しつぶしてしまう人間を生み出します。それは健康的な精神状態を生み出すために効果のある方法ではありません。Fort Garryの女性資料センターは、自分を大事にすることの欠如により、女性は「より不幸に感じ、自尊心が低くなり、怒りを感じる」ようになると言います。そういった感情は、精神的に安定して幸せを感じる自分とはかけ離れたものです。

 

充足していてエンパワーされている女性だけがフェミニストとして変化を起こすことが言える、というのはまったくおかしなことです。傷つけられ、怒り、自分たちの中でさえ疎外された人たちこそ、大きく大事な声を持つもので、誰かを排除するという考えは生産的ではありません。しかし、デモに出かけて他の女性に声をあげたり、記事を書いたり、クリスマスの席で性差別的な親戚のおじさんと口論になったりするときでさえ、その過程であなたが自分のことを自分で面倒をみないなら、あなたにそんなことをするように期待するのはフェアではありません。

 

あなたが前線に立っている活動家であろうと、自分の生活圏でフェミニストであろうとする人であろうと、あなたが自分を大事にし、休息の時間をとり、Psych Centralの言葉をかりれば「自分の体の声を聞き、ためらうことなく自分のしたいことをする」ことは重要であり、まさにフェミニズム運動のコアでもあるのです。家父長制に抗うことはそれ自体すでに大変なことです。それをしながら、自分自身のニーズにまで抗うことは、その闘いをより困難にします。フェミニストの詩人アドリエンヌ・リッチが言ったように「座り込んで、涙を流しながら、それでも戦士だとみなしてくれる、そんな人達のそばにいるべきです。」

 

感情の健康はリアルの健康

現代社会において、男女どちらについても、感情的な痛み、トラブル、労働、疲れといったものが正当なものとみなされないことはしばしばあります。Psychology Todayに記事を書いたLeon Seltzer医師は、なぜ感情的な居心地の悪さがしばしば意識的に脇に置かれてしまうかについて鋭い考察を行っています。「否定、退避、自己疎外といった傾向は、深く感じられる感情的な痛みに対しての普通の反応」だと彼は言います。そして、感情的な披露を他者に見せることはしばしば「相手に自分が弱く見られるかもしれないという恐れ、そしてそれによって自分が弱く、無気力に感じてしまう恐れ」によって妨げられます。さらに、彼はここにジェンダーが関係しているといいます。男性が、男らしさに傷がつくことを恐れて痛みを打ち明けないのに対し、女性の場合は、自分の感情的な落ち込みを打ち明けることは、しばしばその配偶者から「考え過ぎ」とか、より一般的には「敏感過ぎる」と言われることに繋がるのです。

 

言い換えれば、セルフケアが必要な立場にあるということは—それは人間、特に女性にとって普通の状態ですが—それ自体というよりも、弱さや傷つきやすさとみなされるということです。フェミニズムの文脈で科学的なジェンダー差について話すことは厄介ではありますが、男女が感情を処理する方法に違いがあるという研究結果はあります。他者の感情を読むことは女性が教育を受けて身につけるものである一方、女性が恥や後ろめたさ、拒否とといったネガティヴな感情的刺激に対し、反応がうまくないという考えには生物学的な根拠があるようなのです。つまり、感情の与えるネガティヴなインパクトは女性にとって深刻な問題であり、そしてとても現実的な問題なのです。私達自身の世話をすることは、「弱さ」や「敏感さ」の問題ではありません。それはこの世界に生きることの現実なのです。

 

女性の痛みはしばしば「馬鹿らしいもの」として無視される

感情的な痛みから身体的な痛みという多大なセルフケアが必要なもう一つの痛みに目を移せば、ここでも女性の痛みは無視されるということが見えてきます。セルフケアは、結局、感情的なものだけではないのです。多くの女性にとって、それは自分自身を浮上させておくためのものです。慢性的な痛みは、とりわけ女性の間で、診断や治療されないままであることが多いという研究結果があります。なぜなら、女性が痛みを訴えると「大げさだ」と言われがちだからです。

 

自分の健康や痛みについての女性の認識は、その苦しみの身体的なリアルにおいてさえも、いつも無視され、真剣に取り合われません。2015年にアトランティック誌に掲載された記事—著者の妻が卵巣捻転による強い痛みからERに運ばれたものの、ちゃんとした対応を受けられなかったことについての記事—は似たような経験をしたことのある世界中の女性たちが自分たちのストーリーをシェアするきっかけになりました。2016年の調査では、同じレベルの痛みを受けてそれを表現した場合、ERでの対応に男女で大きな差があることがわかりました。男性が治療されるまでに49分、女性は65分。このような世界では、自分の痛みを見つめ、感じ、それに対処するために休息を取ることは、極めてフェミニスト的な行為です。

 

セルフケアは自立したアイデンティティの現れ

フェミニズムとの付き合いの長い人なら、1986年に登場した「フェミニズムとは、女性は人間であるという過激な考え方」という定義を耳にしたことがあるでしょう。セルフケアの重要なポイントは、自己という部分です。あなた個人です。姉妹として、妻として、ガールフレンドとして、パートナーとして、信頼できる友人としてのあなたではなく、ただ純粋に、女性であるあなたのことです。他者によって定義されるメカニズムではなく、あなた個人としての自己のニーズや欲するものに耳を傾け、まず自分を大切にすることが、どんな文脈でも絶対に、自分の重要さや全体性、あなたという個人のこの世界での重みをしっかり認めることなのです。

 

あなたが他者と良好で、健康的で、対等な関係を築いていればセルフケアは必要ないというわけではありません。フェミニストであることは孤島に住むことではなく、実際、セフルケアの重要な部分は、イギリスのメンタルヘルスの団体MINDが推薦するように「あなたの社会生活を豊かにする」ことです。しかし、リラックスして、散歩をしたり、友達を読んだり、くだらないテレビ番組を見たり、なんでもあなたが元気になれることを頻繁にすることは、あなたに価値があり、あなたのニーズはちゃんと応えられるべきものであるという証明になるのです。