feminism matters

英語(とたまに韓国語)のクィア・フェミニズム系記事の翻訳の貯蔵庫。

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紙の上のキャラクターじゃない:シントニア・ブラウンと被害者の描かれ方

Not A Cardboard Cut Out: Cyntoia Brown and the Framing of a Victim

紙の上のキャラクターじゃない:シントニア・ブラウンと被害者の描かれ方

 

2017/12/06

Mariame Kaba and Brit Schulte

 

原文はこちら。https://injusticetoday.com/not-a-cardboard-cut-out-cyntoia-brown-and-the-framing-of-a-victim-aa61f80f9cbb

 

2004年8月6日、16歳のシントニア・ブラウンは、ブラウンをセックスのために家に連れ込んだジョニー・アレン(43歳、ナッシュビル出身)を撃ち、殺した。自衛のためだったとシントニアは後に警察に語っている。アレンがシントニアを家に連れ込んだ後、彼はシントニアにショットガンやライフルを含む複数の銃を見せた。シントニアの法廷での供述によれば、その後ベッドの上で、シントニアは自分の財布から銃を取り出して彼を撃った。

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私たちは弱者なのかテロリストなのか?:ムスリム女性が暴力的な偏見の網の目にとらわれる方法について

私たちは弱者なのかテロリストなのか?:ムスリム女性が暴力的な偏見の網の目にとらわれる方法について

Are We Weak Or Are We Terrorists? Here’s How Muslim Women Are Caught In The Web Of Violent Stereotypes

 

Hadiya Abdelrahman

2017/10/30

 

原文はこちら。https://everydayfeminism.com/2017/10/muslim-women-stereotypes/

 

私が15歳の頃、母にホームスクールにしたいと頼みました。9/11から5年ほど経って、私はまだ人々から向けられる視線に慣れることができていませんでした。店の通路で、知らない男が私の母に「この国から出て行け」と叫びながら追いかけてくるという事件があった時でした。母は私の頼みを聞いてくれ、ホームスクーリングしている間、私はグレン・ベックの番組やCNNを熱心に見ました。人が誰かをイスラム教テロリストかムスリム過激派とラベル付けする、考えられうるあらゆる方法について頭に叩き込みました。

 

グレン・ベックの番組にメールを出し、アンダーソン・クーパーのブログや、コメント欄のついている場所ならどこにでも書き込みました。私自身のこと、私の存在を説明しなければならないという思いに駆られていたのです。世界はムスリムにとってあまりにも暗い場所に見え、私は公の場に出るのを避けるようになりました。母と買い物にいくことも少なくなり、人目につくような場所にはいけなくなりました。世界は、インターネットのコメント欄のように広く、憎悪に満ちていました。数え切れないほどたくさん、人の考え方を変えようと試みましたが、人々は憎悪を持ったままでした。グレン・ベックやその他大勢の「ムスリム女性がいかに抑圧されているか」を説く人々に応答し続けました。しかし、どんなに私が、15歳の自分の人間性について世界に説明しようとしても、そこには私の居場所はないと思い知らされるだけでした。

 

複数のコメントに一度に返信し、私は抑圧されていないと説明しようとしたときのことを覚えています。私は10代の若さで、学校に行くことが出来るし、自分で選ぶことができると。人々があまりにも過度な一般化をしていると人々に気づかせようとしていたのだと、当時の自分はまだ解っていませんでしたが、必至でこの家の外にも私の居場所があるのだと信じようとしていました。振り返ってみると、毎日を矛盾の中で生きていた子どもにあまりにも申し訳なく感じざるを得ません。同情の対象であり、同時に脅威であると思われているというジレンマは簡単なものではありません。

 

同情の対象であり脅威の源でもあるという矛盾は、大学時代に西洋世界の有色人種やムスリムに対する抑圧について多くを学ぶようになってからも続きました。この明らかな矛盾は、私には衝撃的で、理解不可能なものでした。ムスリムの女性の1人として、どうして私が従順で、抑圧されていて、弱者であると同時に、西洋世界に対する最大の脅威のシンボルでもあるということが可能でしょうか?多くの人は、このような2つの矛盾した攻撃に晒され、応答しなくてはならないときの内面的葛藤についてまったく気づいていないようです。とくに、私たちの世界の男性——彼らはまた、FBIの監視、収監、拷問の被害者でもある男性たちですが——はムスリムの女性と世界全体を脅かすテロリストであり、彼らから私たちは救われなくてはならないという考えがもたらす葛藤について。

 

数年前、イラクの占領がイラクの女性に与える影響について詩を書きました。とくに、アメリカ兵にレイプされた若いイラク人女性の話について。その締めくくりはこうです。

 

あの人たちは会議の途中で彼女について話したことが一度でもあるのだろうか/すでに死んだ男たちから女をどう守るかを話ながら、フォークとナイフが音を立てる

 

ムスリム女性を救わなくてはならないという考えは、ムスリム男性に対する暴力のシステムと一体です。ローラ・ブッシュがアフガン女性を救うと呼びかけ、フランスでのヘッドスカーフの禁止やアメリカのアフガン侵攻が始まったことは、私達が脅威であり犠牲者であるという世界の矛盾の最たる例です。ムスリム女性は西洋の公共圏に対する最大の脅威と思われていると言いましたが、これはムスリム男性と女性は全く違うと言っているわけではありません。「イスラム教テロリズム」は一般に脅威とされていて、そして女性「と」男性がそれを体現しているとされています。ただし、ムスリム男性は同時に「抑圧されている」というイメージと闘わなくてはならない、ということはありません。アフガン侵攻の2週間前、ローラ・ブッシュは言いました。「世界中の文明化された人々は、恐れおののいています。アフガニスタンの女性や子どもたちを思って心を痛めているから、というだけでなく、アフガニスタンは、テロリストが私たちに押し付けようとしている世界を示しているからです。」

 

私たちが攻撃に最も晒されていると同時に、好戦的な同情の対象でもあるとき、矛盾が生じます。何がどうなって、私たちは救われなくてはならない対象であると同時に、攻撃の対象でもあるのでしょうか。このことを理解するまで、長い時間がかかりました。私のヘッドスカーフは私の抑圧と弱さのシンボルであり、しかし、私が抑圧されていると固く信じている人に囲まれる時、非常に不安で緊張します。ヘッドスカーフが救出を必要としている女性の抑圧のシンボルであるなら、なぜヘッドスカーフをしている女性は雇用を拒否されたり、教育を受けることを許されなかったりするのでしょうか?女性の前進を助けようとしている場が、しばしば、同時に女性の基本的人権を否定する最前線に立っていたりするのはなぜでしょうか?

 

2010年、フランスで、「全身を覆うベールは女性の従属のシンボル」「隷属の鎖」であり、ベールの禁止は「女性を解放」し、ゆえに「フランスの、全世界の抑圧された女性への支持」を示すという議会報告書が提出されました。そして、これは即座に「抑圧された」女性が雇用や教育へのアクセスを失うということを正当化したのですが、雇用や教育は女性の解放に必要ではないですか?西洋が、全身や体の一部を覆うことは選択であると考えもつかず、男性から強制されているに違いないとしか思えないのは、西洋のムスリム女性への見方を反映しています。私たちは弱く、私たちは自分の意志で選択ができないということです。

 

この見方は、女性が公共圏にアクセスすることを否定したい西洋の欲望と結びついています。要するに、私たちが満ち足りているとか、能力のある存在だと認識不可能なのです。これは女性を解放したいという欲望とは全く関係がなく、何世紀にも渡って存在する西洋世界の有色人種の人々に対する人種主義と排外主義を悪化させるだけの議論です。「解放」とか「自由」といったリベラルの畏まった語彙を使っていても、要するに、純粋に「西洋」の空間である、コミュニティや社会の人種や民族に基づく分離を作りたいと言っているのです。

 

この矛盾は、ローラ・ブッシュの言葉の中に現れています。彼女は9/11の後のアフガン軍事侵攻の熱烈な支持者であり、アフガン女性の苦境と、彼女たちを文明世界が救出する必要をその根拠としました。その抑圧のシンボルが、アフガニスタンで多くの女性が着用している「ブルカ」であったわけです。軍事侵攻の後、ローラ・ブッシュはこう述べています。「アフガニスタンでの軍事的成功によって、女性たちはもう家庭に閉じ込められることなく、音楽を聞き、罰を受ける恐怖を感じることなく、娘を教育できるようになった。」「弱者女性」の解放は、軍事侵攻から数年何度も繰り返し語られました。

 

これはまさに、インド出身のフェミニスト理論家ガヤトリ・スピヴァクが「サバルタンは語ることができるか?」というエッセイで述べたことです。「白人男がブラウンの女性をブラウンの男性から救う。」さて、アフガニスタンでは女性はブルカを着用しなくてもよくなったわけですがーー侵攻から16年経って、ブルカを着用する女性の数は劇的に減っているわけではないにしろーーアフガニスタンの女性たちの抑圧は軽減されたのでしょうか?軍事侵攻から16年の間に、戦争で多くの女性が命を失い、暴力や恐怖のうちに生きているというときに、解放とは一体何のことでしょうか。

 

私はこの矛盾をどう考えていいかわかりませんでした。長い間、私は2つのアイデンティティを上手に取り扱う事ができると思っていました。強い女の子であり、同時に、人を攻撃したりしないソフトな存在であること。15歳で始めたホームスクーリングは1年でやめました。1年間家で過ごし、孤独の中で深く考え込み、可能な限り大量の本を読みました。この1年の間、私の人生を変える本に出会いました。今でも何度も読み返す本たちです。1年の間に成長したと思いますし、両親はプライドと勇気を持つことの大切さを教えてくれましたが、ホームスクーリングをするというのは私の子どもには選択してほしくない選択肢です。9/11後の世界を生きるムスリムで、ブラウンのアメリカ人少女であることは、「9/11後」というパラダイム同様に非常にユニークなもので、両親や周りの人たちの助けがなければ理解できませんでした。複数の、矛盾するアイデンティティを持つという困難を経験し、自分の子供とは、自分の肌の色について悩んだり、人から向けられる言葉に消耗しないですむように必要な会話をしたいと思っています。そういう会話の難しさや私の経験から、私は自分の子供には、世界をあるがまま経験し、自分の置かれた場所について理解してほしいと思います。同時に、自分のいる場所を祝福し、自分の中に力があることにも気がついてほしいとも思います。何年も疑心暗鬼になったり、不安になったり、自分の身の回りで起きていることが理解できないという経験をし、私は2つのうちのどちらかであろうとしても、そのどちらも十分ではないのだとわかりました。ヘッドスカーフではなければ名前、名前でなければ私の信仰や民族…何らかの理由をつけて常に抑圧が降り掛かってきます。

 

このエッセイを、ライラ・アブー=ルゴドの言葉で締めくくりたいと思います。「ムスリム女性は本当に救出を必要としているのか?」というエッセイで、彼女はムスリム女性の救出と対テロ戦争の関係について論じています。このエッセイは、ムスリム女性の悪魔化とアメリカの帝国主義についての素晴らしいエッセイです。ムスリム世界でのアメリカの暴力がムスリム女性の「救出」と結び付けられていた時代に非常に重要であったエッセイであり、西洋フェミニズムと西洋帝国主義の繋がりに関心のある人には必読のエッセイです。

 

アブー=ルゴドはこう述べています。「私たちは世界の外側で、抑圧的な文化の影の下——もしくはベールの下——に生きながら、貧しく愚かな人の波を眺めている存在ではありません。私たちはこの世界の一部であり、イスラムの運動はそれ自体、西洋列強が中東の人々の生活に激しく食い込んできたことによって作り出された世界の中で、生じたものなのです。」

 

Hadiya Abdelrahman is an Everyday Feminism Reporting Fellow. Hadiya graduated from Rutgers University with a double major in Women and Gender studies and Middle Eastern Studies. Hadiya currently works with refugees and asylees in NYC. When she’s not at work, Hadiya writes angry rants and poetry. She enjoys writing about topics that focus on refugees, intersectional feminism, and state violence against people of color.

女の友情のための13のルール

Roxane Gay Lists 13 Rules for Female Friendships

女の友情のための13のルール

 

2014/9/14

Roxane Gay

 

原文はこちら。http://womensenews.org/2014/09/roxane-gay-lists-13-rules-for-female-friendships/

 

1. 女の友情なんてなく、女の間にあるのはやっかみ、嫉妬、比べ合いばかりだという決めつけは捨ててしまいましょう。この決めつけは、ハイヒールやパーティー用のクラッチバッグのようなもので、見た目は可愛いかもしれないけれど、女性の歩みを遅くするように作られているのです。

1A. これは、女性たちが互いにやっかみあったり、競い合ったりしないという意味ではなく、それだけが女の友情の決定的な特徴であるというのは間違いだということです。とくに、年齢を重ねるにつれ、そうです。

1B. もしあなたが、親友に対して僻みややっかみを感じたら、それがなぜなのか考えて、どうすれば解決することができるか考えるか、誰か問題解決を手伝ってくれる人を見つけましょう。

 

2. 女の友情は成立しにくいとか、壊れやすいとたくさん言われてきました。そんな決めつけを擁護するような文章を読むのはやめてしまいましょう。

 

3. もしあなたが、「私は男友達とのほうが気が合うから」と、しかも自慢げに、あたかも男性と近づき、女性と距離を置くのが良いことで、女性であることが悪いことであるかのように言うようなタイプの女性なのでれば、1Bを参照のこと。男友達のほうが多いのは問題ないですが、それを根拠に女の友情についてとやかく言うようであれば、そうですね、ちょっと自己分析してみたほうが良いでしょう。

3A. もし女性の友達を見つけるのが難しいと思うなら、問題なのは「女性」ではないという可能性を考えてみてください。単にあなたの問題なのかも。

3B. 私も昔そういう女だったので。気に障ったならごめんなさい。

 

4. ときに、あなたの友達が、「なんでこんな人と!」とあなたは思うような人と付き合い始めることがあります。正直にそれを伝えてもいいし、嘘をついてもいいでしょう。どちらにもそれなりの理由があります。ときに、あなたが、友達にはまったく理解のできない人と付き合っているということもあるでしょう。あなたの恋人がろくでなしだったとしたら、もう割り切ってしまって友達とはもっと楽しいことを話せるようにしましょう。私が手っ取り早くよく言うのは、「ろくでなしと付き合ってるけど、私も怠け者だから」です。よければどうぞ使って下さい。

 

5. あなたの友達が常に望みを叶えられるようにとそれだけを考えましょう。あなたの友達が幸せで、成功している時、たぶんあなたが幸せになることがもっと簡単になります。

5A. あなたが大変な目にあっている時、あなたの友達は人生の中で最も充実して幸せな時間を過ごしているとして、もしあなたが後ろ向きにしか物事を考えられないとしたら、1人で考えるか、セラピストに相談するか、日記に書きましょう。あなたの友達にあったとき、1.で書いたような事態にならないように。

5B. もしあなたの友達が同業者で、協力したり互いを助け合えるなら、躊躇わずそうしましょう。あなたの友達が素晴らしいのはあなたのせいじゃありません。男は「縁故主義」を発明し、男同士のネットワークの中で生きています。女性が女同士のコネを使ったっていいはずです。

5C. 他の女性を中傷するのはやめましょう。もしその人があなたの友人でなくても、彼女は女性で、それは考慮すべきことです。これは、他の女性を批判するなというのではありません。建設的な批判と無慈悲な中傷の違いを理解しようということです。

5D. 誰だって噂話をします。だから、もしあなたの友達の噂話をするなら、少なくとも楽しい、面白いことだけにしましょう。「私は嘘なんてつかない」とか「噂話なんてしない」なんて絶対言わないこと。なぜならそれは嘘だから。

5E. もしあなたが子供嫌いでも、あなたの友達の子供を愛しましょう。四の五の言わず、大事にしましょう。

 

6. あなたの友達にとっては耳の痛い話だとしても、言うべきことはちゃんと言いましょう。彼女は気分を損ねるかもしれないけれど、それが彼女のためです。昔、私の親友が私の恋愛関係をどうにかしろ、ちゃんと行動計画を立てろと言ってきたことがありましたが、当時はいらついたものの有用なアドバイスでした。

6A. 本当のことをいうとき、無礼にはならないように。友達が実際に行動を起こすのに、どの程度の真実を伝えないといけないのか考えましょう。戦略が重要です。

6B. そんな会話も、遊び心を忘れず楽しく。

 

7. あなたが酔っ払っても大丈夫と思える人、あなたが酔っ払っても顔にいたずら書きせず、調子に乗りすぎて吐きそうになったら助けてくれ、飲みすぎていたり態度が悪くなったらちゃんと言ってくれる女友達と付き合いましょう。

 

8. あなたの友達のパートナーを誘惑したり、セックスしたり、恋愛感情を持ったりするのはやめましょう。言うまでもないことですが、大事なことです。あなたと浮気するような友達のパートナーはろくでなしで、あなただって中古のろくでなしと付き合いたくはないはずです。ろくでなしと付き合いたいなら、新品の、他の人のではないろくでなしを。そんなのそこら中にたくさんいます。

 

9. あなたの友達が、「こんなもの着て私と出かけるつもりなの!?」という服やアクセサリーを買おうとしていたら止めましょう。常識です。

 

10. 何か問題があって、友達と話す必要があるとき、「大丈夫?」と聞かれたら「大丈夫」と言わないこと。友達にはそれが嘘だとわかるし、「本当に」「たぶん」「本当に??」「大丈夫だって!」とやりとりする無駄な時間でイライラさせるだけです。正直に大丈夫じゃないと伝えて、ふくれて見せるか、ただ別の話題に移るかしましょう。

 

11. もし4人で食事しているとしたら、お会計は平等に4等分しましょう。もう大人ですから。お金のある人が多めに出す、というのももうしなくていいでしょう。お金を使いたいなら、ただみんなにご馳走すればいいでしょう。もし財布の事情が厳しいなら、自分の分だけ払えばいいでしょう。

 

12. もし友達が恋愛、人生、家族、仕事などについて不安になり、あなたの「大丈夫だよ」を求めてあほらしいメールを送ってきたとしたら、ただ「うん、わかったから」という一言だけでも遅れず返信しましょう。もしそんなメールを30通連続で送ってきたとしても、我慢強く。いつか、あなたも友達のGmailの受信箱を自分の話でいっぱいにする日がくるからです。

 

13. 私の母の好きなことわざは「類は友を呼ぶ」です。母は、私が母の気に入らない人たちとつるんでいると、いつもしかめっ面でそう言いました。要するに、あなたという人間は、あなたの周りにいる人によって決まるということです。

 

Roxane Gay‘s writing has appeared or is forthcoming in Best American Mystery Stories 2014, Best American Short Stories 2012, Best Sex Writing 2012, A Public Space, McSweeney’s, Tin House, Oxford American, American Short Fiction, West Branch, Virginia Quarterly Review, NOON, The New York Times Book Review, Bookforum, Time, The Los Angeles Times, The Nation, The Rumpus, Salon, and many others. She is the co-editor of PANK. She is also the author of the books “Ayiti, An Untamed State,” “Bad Feminist” and “Hunger,” forthcoming from Harper in 2016.

リベラル男性はフェミニズムをわかっていると思っている。でも全然わかっていない。

 

Liberal men think they know feminism. They really don't

リベラル男性はフェミニズムをわかっていると思っている。でも全然わかっていない。

 

2017/10/19

Jessa Crispin

 

原文はこちら。https://www.theguardian.com/commentisfree/2017/oct/19/liberal-men-feminism-harvey-weinstein

 

ようやく、私たちの文化も(一部の)女性に対する暴力を、(ある程度)深刻に考えようとしているようで、これまでずっとヒソヒソと話されてきたことが、公に語られるようになりました。ここ数週間に、いわゆる「教養」もあってリベラルとみなされてきた産業の男性たちが、ハラスメントと性的暴行の疑惑によってその評価を落としています。

自分の権力を乱用しつつ、進歩的政治やフェミニズムの主張の光の影の中に隠れることで、それをなかったことにしてきた男性の数の多さには驚かされます。

ハーヴェイ・ワインスタインは女性監督を擁護してきたのに、本当にそんなに酷いやつなのか?ミッチェル・サンダーランド(オンラインマガジンBroadlyの編集者)はフェミニスト向け雑誌で働いているんだから、オンライン上での女性に対するハラスメントを焚き付けるようなことはするはずがない。マット・タイビは女性嫌悪と政治の腐敗についての素晴らしい記事を書いているんだから、彼が自分の部下の女性にセクハラしたのを自慢しているのも無視する。

女性の問題について書いてきて、フェミニストを自認してきた左派系のライターたちが、いま暴行と強姦の容疑をかけられています。公には、彼らは自分たちは私たちの仲間だと言ってきましたが、プライベートでは、真の姿を明らかにしたというわけです。

まちがいなく、偽善的です。でも、それだけではありません。男性のフェミニストは、長い間左派からも右派からもからかいの対象となってきました。自分たちのことを勝ち組男性だと思っているオルトライトは、男性フェミニストは男のヒエラルキーの中で最下層であるゆえに、女にさえ跪くのだと言ってきました。

左派の間には、自分のことをフェミニストだという男は、女とヤリたいだけだという暗黙の理解がずっとありました。サタデー・ナイト・ライブでネタにされるほどです。理解ある仲間として振る舞うとしても、それは暗い真実を隠すためだけなのです。つまり、男性はフェミニズムにまったく出会ったことがないということ。

もちろん、リベラル・アーツ大学でフェミニズムの授業をとったとか、女性が道で失礼な言葉をなげかけられたり不必要に高い美の基準を押し付けられたりするのは酷いことだと考えたり、保守のキリスト教徒の政治家が女性の中絶の権利を奪うのはアンフェアだと考えていたりするでしょう。女性の問題について「正しい」ことを全て信じていたとしても、それでも、彼らは女性のことを、自分の性的快楽のための道具であるかのように扱うのです。

男性にとって、フェミニズムとは「こう考えるべき」とか「こういう候補に投票するべき」であってはなりません。女性のことを表現するのに間違った表現を使わないとか、道ですれ違う女性に対して失礼なことをしないとかではありません。それは、暴力的な振る舞いにつながる、暗い、自分の無意識の中にある衝動に光をあてるプロジェクトでなければなりません。

ジェンダーの間の権力の不均衡は、生まれた瞬間から刷り込まれるもので、私達の文化的価値(強さと権力が、共感と柔らかさよりも尊ばれる)は娯楽、ニュース報道から政治構造にいたるまで、あらゆるものから伝染するのです。

公の場で女性に対するリスペクトを示すことと、女性と二人っきりでいる時、彼女は彼女自身のニーズと欲望をもつ1人の人間なのだと無意識もしくは意識的にちゃんと理解しているか、は別のことなのです。アルコールと性的欲望は、建て前のベールの下から無意識の内の信条を持ち出し、自分でさえ気づいていなかったような自分自身を晒します。

フェミニズムは男性にとって、精神的な覚醒、公とプライベートの両方で女性の抑圧に自分が加担してきた方法についての目覚めであるべきです。

男性にとってのフェミニズムとは、自分自身の一部を知ることであるべきです。自分が単に弱さだと見過ごしてきた、自分の中の女性的な性質や共感する能力や傷つきやすさを知り、それを取り戻そうとすること。これは、心理的、スピリチュアル的でさえあるプロジェクトで、単に政治的なものではありません。

それが理解されるまで、男性にとってフェミニズムは存在しないも同然です。このことを理解している男性があまりにも少ないということは、男性性の未来は暗いということです。

ハラスメントや暴行の報道は今後もひっきりなしに入ってくるでしょう。新しい怪獣が、すでに地に落ちた怪獣に取って代わる。そして男性たちは、フェミニストTシャツの下に怪獣の心が眠っていることに、いつまでも驚き続けるのでしょう。

 

Jessa Crispin is the author of Why I Am Not a Feminist: A Feminist Manifesto

職場の性と力関係についての(私の)真実

A Truth (My Truth) About Sex and Power at Work

職場の性と力関係についての(私の)真実

 

2017/10/16

Martha S. Jones

 

原文はこちら。https://medium.com/@marthajones/a-truth-about-sex-and-power-in-the-workplace-my-truth-f8566895969b

 

最近の、ハーヴェイ・ワインスタインに対する容疑の中に、真実が見えます。「事実」ではなく、私達が経験から知っている「真実」です。もし私がロースクールの教室でこの話題を持ち出すとすれば、容疑が真実であることを証明しなくてはならない重みや、「合理的な疑い」、「証拠の優越」といった考え方について話さなくてはならないでしょう。家庭や友達の間で話す時は、女性たちが語るストーリーの中に埋め込まれているある種の真実について話すでしょう。

それは私の真実でもあります。

私が大学生だった頃、モリス氏(仮名)は毎週土曜に請求書や帳簿を整理する仕事をくれました。彼は家族経営の小さな印刷会社の社長で、事業が成功して人手不足でした。毎週末、印刷機の担当のスタッフは休んでいて、先週までの注文に対応するモリス氏と、オフィスを掃除したり数字をチェックしたりする私だけのフロアはとても静かでした。

授業と重ならない仕事をもらった私は感謝していました。モリス氏は、私が以前ボランティアをしていたソーシャルサービスの団体の印刷も担当していたので知り合いでした。おそらく私の父親より10以上年上の年配の男性でした。白髪交じりで、少し猫背で、優しい声で話す人でした。細いフレームの眼鏡越しに、暖かく微笑んでくれました。スタッフからも、顧客からも愛されている人のように見えました。私の勉強や家族のことも気にかけてくれ、私は彼を信頼していました。

だから、彼が一線を踏み越えた時、私は驚きました。不意の瞬間、モリス氏は手を伸ばし、散らかったテーブル越しに私を彼の方に引き寄せました。私が反応する前に、彼の舌が私の口の中にありました。私は押し返して、たぶん「やめて」と言いました。何にせよ、彼は穏やかさを取り戻して、頭を下げました。その日、その後何があったか思い出せません。おそらく、震えながら、仕事を終えて、給料を受け取って、家に帰ったと思います。

なんとか、起こったことを人に話しました。私にモリス氏を紹介してくれた女性たちのところに駆け込みました。恥を感じながら、言葉につまりながら、彼が何をしたか、来週末また職場に行くと思うと気が重いということを説明しました。「大したことないじゃない」と彼女たちは説得しようとしました。「害はないわよ」と。私にとっては非常に動揺させられた出来事を簡単に否定されたことに、傷つきました。

今ならわかります。私の母親と同世代の彼女たちは、いつもオフィスで、工場で、倉庫で、ホテルで、しばしば男性の上司のもと、働いてきた人たちでした。彼女たちにとって、職場でのジェンダーと権力のダイナミクスは、頻繁に、自分の望まない性的接触に繋がるものでした。体をまさぐられること、ハグされること、キスされることは、予想済みでした。彼女たちの教えは、出来る限り「受け流して、仕事に戻れ」でした。彼女たちは、社会に出ていこうとする段階の私に、同じように対応するよう教えようとしていたのです。

そして私もそうしました。

気分も悪く、ピリピリしながら、次の土曜にモリス氏の印刷会社に戻りました。その次の週も。私は新しい立ち振舞を身に着けました。「完全仕事モード。」笑顔も雑談もなし。職場から安全な距離をとること。なぜ職場に戻ったかって?確かに、私にはお金が必要でした。秋までに、私の奨学金は底をつきそうで、地下鉄の定期代を節約するために学校と寮の間の40ブロックを徒歩で通っていたぐらいでした。事態が変わったのは、クリスマスが近くなり、モリス氏がきらびやかな包装紙に包まれたプレゼントーウォークマン(1980年代のiPodのようなもの)ーを渡してきたときでした。私には手が出ない贅沢品でした。それでも、私は不潔だと感じ、プレゼントをゴミ箱に捨てて会社を後にし、二度と戻りませんでした。

私は1人ではないと理解するまでに、何年もかかりました。他の女性のストーリーから、どれだけ多くの女性達がモリス氏のような男性や、もっと酷い事態を経験し、生き延びているかを学びました。私達の間に、私達にはわかる真実があります。ジェンダーと地位・立場が職場で混ざりあった時、性的なからかいや強姦にまで至るスペクトラムへのドアは常に開いているのです。私達を互いに結びつけているのは、私達の仕事の内容や方法を、構造や地位を通じてコントロールする男性に対する、私達の立場の弱さです。彼らは私達の立場の弱さに、最大限つけ込んでくるのです。

 

太った人の人間性が「ヤれるかどうか」によって左右されない理由

Why Fat Humanity Is Not Governed By Fuckability

太った人の人間性が「ヤれるかどうか」によって左右されない理由

 

2017/8/10

Sherronda J. Brown

 

原文はこちら

https://wearyourvoicemag.com/body-politics/why-fat-humanity-should-not-be-governed-by-fuckability

 

少なくとも2人の女性と1人の男性が、セックスの前にヘルペスに感染していることをきちんと伝えず、病気を移したということを理由として歌手のアッシャーを訴えました。しかしアッシャーはこの件を否定していると伝えられています。この訴訟を起こした女性の1人が、身元を明かしました。彼女の名前はQuantasia Sharptonといい、太った黒人の女性です。

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