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feminism matters

英語(とたまに韓国語)のクィア・フェミニズム系記事の翻訳の貯蔵庫。

心配しないで、ジャスティン・トルドーは性的客体化のせいで傷ついたりしない

表象

Don’t worry, Justin Trudeau will never be hurt by sexist objectification
心配しないで、ジャスティン・トルドー[カナダの新しい首相]は性的客体化のせいで傷ついたりしない

原文はこちら。 http://www.feministcurrent.com/2015/10/23/dont-worry-justin-trudeau-will-never-be-hurt-by-sexist-objectification/

2015/10/23
Elizabeth Pickett&Meghan Murphy

カナダに新しい首相が誕生しました。しかも怪物みたいな極右のくそったれじゃないということは、喜ぶべきことです。Stephen Harperを追い出すことができたことに多くのカナダ人が安堵していることがソーシャル・メディアを通じて伝わってきます。そういう感情も理解できることですが、お祭り気分が行きすぎて、新しい首相のリベラルな政治信条は誇張されているとも思います。それも今のうちでしょう。Harperが首相だった8 年の地獄がついに終わったのですから、私たちには喜ぶ権利があります。

若く、活力があり、魅力的な新首相誕生についての安堵は、とりわけアメリカの主流メディアの間で熱狂に変わりつつあります。メディアの報道やソーシャル・ メディアでの反応をみると、まるでアメリカ人たちはトルドーが「抱かれたい男」であるということを最大の魅力であるとさえ思っているかのようです。もちろん、アメリカの主流メディアはいつもこういう報道をします。セレブリティのカルトにおいては、好意的な評価をつくるのは必ずしも人の考えや言動とはかぎり ません。しかし、トルドーの性的カリスマへの注目を促したのがアメリカのメディアであったとしても、カナダの女性たちも同様にこの熱狂にとりこまれたいと思っているようです。カナダ人は国境の南からの影響がなくとも、権力のある男性がシャツを脱ぐ姿に興奮していたでしょう。

トルドーの身体にばかり注目することの是非は議論の余地があるということは間違いありませんが、ちょっとどうかと思うのは、このような状況を、多くの女性政治家に向けられる見た目のジャッジと並べて、トルドーが性的に客体化されていると問題視する女性たちの反応(フェミニストさえそこに含まれる)です。おそらく多くの人が「逆人種差別」というのはありえないということは理解できるとおもいます。有色人種の人々から白人に向けられる「差別」というのは、肌の色 に基づく構造的な抑圧と搾取という文脈においてはありえません。にもかかわらず、「逆性差別」というのは存在すると信じている人がいるようです。

新首相がシャツを脱いだ姿の写真とそれに対する熱狂的な反応は愉快なものではありませんが、その懸念はトルドーがー社会的、政治的、また個人的にーいわゆる「性的客体化」によって傷つくかもしれないという不安からくるとしたらおかしな話です。今起こっていることはそういうことではないからです。この熱狂のせいで、トルドーをふぬけで、ふしだらで、写真以外には何も見るべきところのない頭のからっぽな人物とか、セクシーさや枕営業で現在の地位まで上り詰めた人物だなんて言い出す人は誰もいません。トルドーのセクシーな写真と、多くの人が彼を身体的に魅力的だと思ったという事実は、単に彼の権力を補強するだけであって、損なうものではありません。彼が女ではないからです。彼は男です。しかも、権力者です。

フェミニスト分析は、男性も女性と同じように性的にまなざされるとしても、その結果は異なるということを教えてくれます。女性はいつも、構造的に客体化され、男性の視界において、彼女の社会的、政治的、経済的な力をおさえつけるために性的な存在に矮小化されます。こうして、私たちは社会において私たちに求められる価値は私たちの身体と、その身体を男が使う(暴力を振るう)ことができるということだ、というのを思い知らされることになります。

「男性の視界において」という部分がここで重要です。そこで客体化されているのは、私たちのセクシュアリティ自体を反映したものではありません。私たちのセクシュアリティは男性の眼差しにより、その眼差しの中で構築され、私たちはこれを乗り越える社会的、政治的、経済的な力を持っていることは稀です。しかし、男性が「セクシー」と見られる時、それは彼らが脆弱で従属的な存在として構築されているからではありません。このことは、いつも女性がそういうポーズをとらされるように、男性に「誘惑するように」ポーズをとらせてみればわかることです。[原文には広告写真の例があるのでぜひそちらをご覧ください。] トルドーの「客体化」は彼をより強く、パワフルに提示しさえするのです。

人種主義的で家父長的な資本主義のなかで、権力を持っているのは男性です。彼らのセクシュアリティが前面に持ち出されたとしても、その結果彼らの力は強まるばかりで、弱くなることはありません。彼らはセックス「のみ」において見られているわけではなく(女性の場合、女性のセクシュアリティは彼女の従属的な地位と内在的な関係がありますが、男性の場合はそうではありません)、その権力を補強する性的カリスマをもった一人前の人間と見られます。多くの女性が彼 をハンサムだと言ったからといって、ケネディ大統領の権力が弱まったりしなかったように。不倫スキャンダルさえなければ、ビル・クリントンだって彼の魅力 や、彼のサックス演奏に女性が熱狂した事実をもって、その権力を失うということはなかったでしょう。トルドー自身の父親は「トルドーマニア」の生みの親でしたが[ジャスティン・トルドーの父親ピエール・トルドーに対しても同様に熱狂的なブームが起こり、彼を首相の地位まで押し上げた。]トルドーの父親も、 女性が彼の見た目と魅力に魅了されたからといって、世間での地位を落とすことはありませんでした。

ジャスティン・トルドーは誰かの言うところの「客体化」によって利益を受け、女性は失います(そしてそれは国全体にとっての損失でもあります)。トルドーは、その魅力というカーテンの後ろに失敗を隠すことができます。彼は可愛い子ども、愛らしい妻、彼の頬を両手で包みながら若い王子を溺愛する母親、そしてお金を積んでも手に入らない名声を手にしています。私たちが目撃しているものは、カルトのヒーローの戴冠の始まりに容易に変わるかもしれず、私たちは、もしトルドーが女性であったら想像もできないほど、彼に対する理不尽な攻撃に目を配るようになるかもしれません。見てください、私たちのなかにはすでに彼に対して過保護になっている人たちが…

だからトルドーについて心配することはありません。彼が彼の父親から受け継いだ性的カリスマが彼を傷つけるとしたら、彼が自分自身の魅力についての神話に浮かれ、自己愛とエゴに負け、「うっかり」彼のファンと寝てしまった時ぐらいでしょう。

トルドーをいわゆる「逆性差別」から守ろうとする多くは、普段から性的客体化、ポルノ、女性の搾取といった問題に声を上げている人たちではありません。しかし、フェミニストたちからもこういう反応がでていて、彼女たちは、もし女性たちがこういう扱いを受けたらフェミニストは闘うでしょう、と言います。これを誰もが「平等に客体化」される「ジェンダー平等」、フェミニズムの求めたものだと頓珍漢なことを言う人もいます。しかし、フェミニストは、私たちを抑圧する側を従属させれば私たちの直面している不平等が解決するなんて幻想に騙されるのはやめて、抑圧や差別とは無縁の白人のきわめて裕福で政治的地位のある男性のことにこだわる以上に、もっと重要な仕事がたくさんあるということを考えるべきです。

Stepen Harperはもう首相ではなくなりましたが、彼の残したものをひっくりかえし、女性にとって良い環境を取り戻すには長い時間がかかるということを私たちは知っているはずです。ハーパーの後任[トルドー]も、女性解放の闘いを続けていくために必須の公営・民営の女性団体をつぶした新自由主義政策をかかげています。

ですから、この件についての彼の感情はトルドー家の息子自身が自分でどうにかするのにまかせ、彼を政治的にゆさぶり、彼が言うところの女性の権利への支持を本当に実現するよう、働きかけていきましょう。