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マグニフィセント・マイルのミソジニー:ターニングポイント

Misogyny on the Mag Mile: A Turning Point
マグニフィセント・マイルのミソジニー:ターニングポイント

原文はこちら。 http://radfag.com/2015/12/02/misogyny-on-the-mag-mile-a-turning-point/

2015/12/2
rad fag

シカゴの若い活動家たちーうち全員が黒人の女性で、その大半はクィアだったーが、Laquan McDonald[2014年10月にシカゴで白人警官に射殺された当時17歳の黒人青年]に哀悼の意を示すために開かれ、成功裏に終わったブラック・フライデーのマグニフィセント・マイル[シカゴの高級ショッピング街]の占拠で、身体的に暴行を受けた。

デモを呼びかけた宗教リーダーたちとコミュニティの年長者たちは、その日の早くから、ループ[シカゴのダウンタウン]のWater Towerで抗議活動をしていた。BYP100、FLY、Assata’s Daughtersといった若者の団体も参加するよう招待され、参加していたことが、Jesse Jackson Sr.やその他の著名人たち(その大半は男性)の写真に彼らが写っていることからもわかる。

オーガナイザーたちが参加者に語り始めたとき、数名の著名な黒人の年長の運動家が、前にでるために、無理やり若いオーガナイザーたちをマイク前から押しの け、うち一人は黒人のクィア女性の顔を肘で殴りはじめた。数分後、BYPのリーダーの一人が年長の活動家に対峙したとき、彼は別の黒人女性に性差別的で同 性愛者差別的な罵り言葉をはきながら、拳を振り上げた。その場はちょっとした乱闘となった。

口論が始まると、若い活動家たちは参加者に語りかけるための自分たちのマイクチェックをし、すぐに行進を去った。ケガの応急処置のため、また、ただ身の危険と見下されているのを感じたためだ。

攻撃の標的となった黒人のクィア女性たちは、Laguanのビデオが公開された夜を含め、もう何週間もずっと街頭で警察と衝突してきた人々だ。先月、シカゴで開かれたIACP会議の占拠でもコールをし、逮捕された人々だ。Rekia Boyd[2012年、非番の刑事巡査Dante Servinに射殺された当時22歳の黒人女性]の名誉を回復するために飽くことなく働き続けた人々で、彼女を殺したDante Servinの解雇を求める運動を広げた人々だ。サウスサイドのトラウマセンターをついに勝ち取るために実質的な働きをしてきた人々で、2014年のブ ラック・フライデーのマグニフィセント・マイル占拠を組織した人々だ。

つまり、彼女たちは、彼女たちを攻撃した男性の年長の活動家たちからほとんど支援を得ることなく、シカゴという街の黒人の生活を守るための長期にわたる運動を調整し、まとめてきた、怖いもの知らずでかっこいい、黒人で、クィアな、若い女性たちだ。

ブラック・フライデーのデモに驚くべきほどの参加者があつまったことは、シカゴの人々が資本主義、企業の儲け、黒人の命の軽視の間に直接的なつながりを見 出せるということを示した。これは間違いなく警察本部長のMcCarthyの解雇を後押ししたし、街中にさらなる解雇を求める声を響かせた。しかし、 Loguan McDonaldの殺人に関するビデオによって生じたメディアの熱狂と、それに続く報道は、急遽、過去2年にわたる数え切れないほどの政治デモに姿を見せ てこなかったコミュニティのメンバー、宗教リーダー、著名な黒人運動家たちを呼び込むことになった。これらの人々の大半は男性で、黒人の命のための運動を率いてきたオーガナイザーたちよりずっと年上だった。

マグニフィセント・マイルでの若い女性の活動家たちへの暴行は悲しく、恐ろしい事件だ。大きなデモの文脈、そしてシカゴにおける黒人の運動の状況の文脈においてみると、この暴行は黒人解放のための運動の次のステップについて重要な問いを投げかけているといえる。

Black Lives Matterは若い、黒人の、クィアの女性たちによって始められた。これは議論の余地がない事実だ。全米規模でもローカルでも、黒人のクィアの女性たちは前線に立ち、運動の戦略、作戦、メッセージを考え続けた。ミズーリでの暴動とそれに続くアメリカ中の大学キャンパスでの運動が盛り上がるのが可能になったのは彼女たちがそれまで積み重ねてきたものがあったからだ。新しい組織を作り、現状を打破するための行動を指揮し、黒人の命のための運動が続くことを可能にするための基礎を作ったのは、素晴らしく有能な彼女たちの仕事だ。

これは偶然ではない。若者として、女性として、クィアとして、彼女たちのような革命家たちは非常に抑圧的なシステムが交差する場に立っており、人種の不正義がミソジニー、ホモフォビア、ナショナリズム、大人中心主義、資本主義、その他にもたくさんのものに依拠して発動することについてユニークな理解を持っ ていた。彼女たちは最も怖いもの知らずの正義のための闘士であるだけでなく、彼女たちの要求はいつも最もラディカルで、ヴィジョンは最も明確で、分断され たコミュニティの人々を統合し、繋げていく力も研ぎ澄まされていた。

今回のマグニフィセント通りでの事件について警戒すべきことは、この事件が、これらの事実を黒人の命のための運動に加わる人々の間での常識としてではな く、重要な啓示としてもう一度考えるよう要求しているということだ。若い、黒人の、クィアの女性たちーしかも、この街の中でいつも、誰よりも懸命に闘って きた人々—を攻撃することは、学期も終わりかけのころに授業にいきなり現れて、教科書を教授に投げつけるようなものだ。

行進をオーガナイズし、メディアにもよく取り上げられる男性の年長の人々が、彼女たちよりもラディカルでない要求をしただけでなく、去年からずっと若い黒人のクィア女性たちが要求してきたものを妥協させて要求したというのは驚くべきことではない。曖昧な改革を求め、有色人種の警官を「もっと増やす」ように とさえ要求し、この運動がすでに拒否してきたものについての知識のなさを晒しただけでなく、若い活動家たちが推してきたより緻密で全面的な経済的正義や資源の再分配のための要求を台無しにした。

アメリカの黒人の運動には、若者や女性、クィアの人々を意図的に沈黙させてきた長い歴史がある。脱政治化されたローザ・パークスにとって代わられた、モンゴメリで白人のためにバスの席を譲ることを拒否したと記録にある10代の母親Claudette Colvinから、ワシントン大行進でスピーチするのを禁じられたFannie Lou HamerやElla Baker、その他にも多くの女性たちまで。Marsha P. JohnsonやSylvia Riveraが、自分たちが創設したプライドマーチに参加するのを禁じられた事件もよく知られている。このようなラディカルな活動家たちの貢献を抹消する のに何度も使われる言い訳は、リスペクタビリティ[世間体]だ。運動が盛り上がり、人の目につくようになると、運動の起爆剤となった闘争的な意見は主流に 受け入れられるための障害になるとされ、ラディカルな真のリーダーたちの姿を彼らが闘っているものの前に出すのはいかがなものかという空気が生まれる。

何年もかけて若者たちが人々の注目を引こうと努力してきたシカゴの問題が、ついに人々の関心事になった時、男性のリーダーたちが、カメラがやってくるずっ と前から運動を率いてきた若い、黒人の、クィアの女性たちを身体的に攻撃しなければならないと感じたのは、偶然だったのか?

究極的に、私たちの運動が広がって注目を浴びるようになると、いかにリーダーシップを共有するかという問題がでてくる。Black Lives Matter運動がこれまでに成し遂げた偉大なことの一つは、権力を一点集中させない形でのオーガナイズだ。BLMの創設者Patrisse Cullorsの言葉をかりれば、リーダーがいないのではなく、リーダーがたくさんいる運動なのだ。この構造は、若い、黒人の、クィアな女性のオーガナイ ザーたちが意図的にデザインしたものだ。エゴのためにこの構造を崩そうとするのは、彼女たちの仕事を軽んじるセクシズムだけでなく、この運動が成し遂げた偉業への無関心、運動の未来への思慮の欠如の表れだ。

今週は姿を現したリーダーや専門家たちの多くは、若い活動家たちに率いられたキャンペーンにまだ誰も注目していなかった頃どこにもいなかったのだから、メディアが去ってから彼らがどこにいたのかはよく見ておくべきだ。

Black loveを説いた牧師はその愛を黒人の女性やクィアにも広げるだろうか?黒人の団結を説いた知識人や演説家は、単に「10代も運動に参加している」と示すためだけでなく、実質的に若者をその団結の中に含めるだろうか?暴力をやめろと叫んだ私たちのコミュニティの人々は、若者や女性、クィアが彼らの仲間に攻撃されている時に、間に割って入って暴力をとめるだろうか?

一つ確かなことがある。私たちはいつもここに、最前線にいるーもっと名の知れた運動のリーダーたちに認められようとそうでなかろうとー私たちに誰から、どんな侮蔑や脅迫が向けられようと関係ない。

BYPのリーダーCharlene Carruthersの言葉をかりると:私たちがはじめたことは、私たちが終わらせる。