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私はジェンダークィア:いつ私が「本当に」性転換するのか聞くのはやめて

 

I’m Genderqueer — Please Stop Asking Me When I’m ‘Really’ Going To Transition

私はジェンダークィア:いつ私が「本当に」性転換するのか聞くのはやめて

 

多くのジェンダークィアの人々と同様、私の性転換は一つのジェンダー・アイデンティティから「もうひとつ別の」ジェンダーへの転換ではありません。

 

2015/

Jacob Tobia

 

原文はこちら http://www.mtv.com/news/2428003/genderqueer-transition-trans-awareness/

 

私がデニムのショートパンツに5インチのヒールのパンプスを履いてキャンパスを歩いているとき、私の(たぶん)ストレートの友達が中庭の向こう側からちらりとこちらを見てきた。彼がこっちを見ずにはいられなかったのも当然。その日私の脚はめっちゃいい感じで、キャンパスの誰もが熱い視線を送ってくるほどだったから、彼もこっちを見ないはずがなかったのだ。

 

でも、彼は腑に落ちないといった感じにこちらにやってきて、「なんで脚の毛を剃らないの?ジェイコブ」と聞いてきた。「毛を全部剃らないと脚はきれいに見えないよ。」

 

「あっそ」私は答えた。「それって大変そうだし、毛がぼーぼーの私の脚も嫌いじゃないし」

 

何年か後、私がニューヨークに引っ越したとき、驚くほど似たような会話をすることになった。今回、私にすね毛を剃るように言ってきたのはフラタニティにいそうな兄ちゃんじゃなかったけれど。今度は、コミュニティの上映会で会ったトランス女性だった。彼女の後ろの列の席に私が座っていると、彼女は振り向いて私を一目見て、単なる事実を伝えるかのように、「エストロゲンを飲み始めたらもっと脚が素敵になって、あなたはもっときれいになれる」と言ってきた。

 

でも「とりあえず毛を剃ることから始めたら」と。「もしあなたが本当に脚を出したいなら」

 

面白い。私は生まれたときには男だと診断され、ハイヒールと口紅をつけるのが好きなジェンダークィアだけれど、今現在のところトランス女性にもトランス男性にも見え、私のアイデンティティを正しく理解できる人は本当に少ない。ここ3年ほど、周りの人たちは私のことを「本当はゲイ」とみなしたり、女を自認しているとみなしたりした。おそらく、だからみんな私のすね毛が気になってしょうがないのだろう。

 

私が、自分はジェンダークィアだと考え、私の人生の中でずっと不名誉なものとされてきた女性性を主張することを知るにつれて、周りの人たちの誤解は大きくなっていくばかりだった。私がスカートをはくと、みんな私が伝統的な美しい女性(それがどんなものだとしても)になりたがっていると思い、私にどんなものを着て、どうやってすね毛を剃り、私に似合う口紅は何色かを教えてくれるようになった。

 

まず第一に、私が実際に女性を自認していたとして、誰かにその人の体をどんな風にするべきかとか、どんな服を着るべきかとか口を出すのは絶対によくない。馬鹿馬鹿しいし、上から目線だし、恩着せがましい。もう他の誰にも同じことをしないで。いい?

 

でも私にとってもっと重要だったのは、周りの人たちが私のジェンダー自認が気になって仕方がないらしいということに気がついたことだった。まるでジェンダークィアなんてものは実在しないとおもっているみたいにーつまり、私のアイデンティティは単なる移行期間で、いつか私は自分が本当は女性だったと気がつくだろうと考えているようだった。私が自分の体をどうすべきで、何を着るべきなのかについての細々したアドバイスの裏には、もっと意地悪な質問が隠れている。「で、ジェイコブ。あなたはいつ男から女に本当にトランスするの?」

 

そんな質問にどうこたえればいいのか全然わからない。だって私はもうずっとトランスし続けてきているから。周りの人たちが私のトランス経験を彼らが認めるに十分なものだと思っていないだけ。

 

他の多くのジェンダークィアの人々がそうであるように、私にとってのトランスはある一つのジェンダー自認から「もう一つ別の」ものへのトランスではなかった。むしろ、それは広く理解されている男と女というカテゴリーから、伝統的なジェンダー概念の外側へのトランスだった。何年もかけて、私は口紅と顔の産毛の両方、スパンコールと私の広い肩の両方を愛することを身につけてきた。私の体の部位の全てを平等に愛することを知り、私の女性性と男性性を同時に抱きしめてきた。この2つが背反するものではなく、互いに補いあうものだと知っているから。

 

私にとってのトランスは、私の身体の改変を必要としなかった。その代わり、私の身体をこれまでとは違う見方で考えることを知り、私の男性的な体つきの柔らかさと、しなやかな手首の強さを大事にすることだった。男らしさの縛りから飛び出すことを知り、私の女らしさを愛してそれを他の人々と分かち合い、私のジェンダーの複雑性をそのままに抱きしめること、これが私の人生をかけた取り組みだったのだ。

 

「あなたはいつ本当にトランスするの」といった質問や、「すね毛を剃ればもっときれいになれるのに」といったコメントは、どちらも私の生きてきた経験を中傷し、軽んじる言葉だ。そういうことをいう人たちは、私のジェンダークィアとしてのアイデンティティを、美しい正解ではなく正すべき問題、素晴らし目的地ではなく奇妙な中間地点とみなしている。

 

ジェンダークィアの人や、慣習的なジェンダーに当てはまらないジェンダーの人[gender non-conforming person. 日本語の定訳があれば教えていただきたいです]に、いつ「完全に」トランスするのかと聞く前に、少しでいいからあなたが本当に言おうとしていることについて考えてみて。あなたは、その人たちに、彼/女たちの身体のその時点での有り様は受け入れられず、彼/女たちのジェンダー・アイデンティティは不完全なものだと言うに等しいのだから。

 

おそらくあなたにはそんなつもりはないでしょう。私が出会ってきた人たちは、単に私に、もし私が男性から女性への医療的な性転換プロセスを始めたいと決めたなら応援するよと言いたかっただけ。でも、私のようなジェンダークィアの人々が、周りに支えられていると感じられるよう応援する一番良い方法は、正直であること。

 

私がいつ医療的に性転換のプロセスを始めるのかを聞くのではなくて、ただ私のジェンダー・アイデンティティを、たとえそれがなんであっても、支持すると伝えて。私がどんな風に変わったとしても、そのままの私を愛していると。私が私の身体についてどんな選択をしようと、私のそばにいると。

 

医療の力を使ってトランスすることは、多くのトランスの人々にとって命を救うこと。私にとってはそれは正解ではなかった。そして、私のアイデンティティが尊重されるようにするために、医療的にトランスをする必要もない。私のジェンダー、それ自体で十分。その欠点も不完全さも矛盾も全部ひっくるめて、私の身体はそれで十分なのだ。ジェンダークィアとして、私はすでにトランスしてきていて、そして私はいまの私自身のあり方で完璧なのだ。

 

 

Jacob Tobia is an advocate, writer and speaker committed to justice for genderqueer, gender non-conforming and transgender people. Jacob uses the gender-neutral pronouns they/them and likes to put Sriracha on pretty much everything. Connect with Jacob on Twitter, Facebook, Instagram and Tumblr.