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クィアであること異性と付き合うこと

 

Being Queer and Dating ‘Straight’

クィアであること異性と付き合うこと

 

Kristen Rogers

2016/1/12

 

原文はこちら。 http://www.blackgirldangerous.org/2016/01/being-queer-and-dating-straight/

 

バイセクシュアルであることは、クィア的な空間、異性愛的な空間のどちらにおいても肩身の狭い思いをさせられる可能性があるということです。バイセクシュアルで、女性的なジェンダー表現をする有色人種の女性として、いろんなことを言われてきました。「まだ同性愛者だってカムアウトしていないだけ」とか「あなたは本当のクィアじゃない。ただちょっと興味があるだけ」とか。好きだった人にさえ「あなたとは絶対付き合わない。あなたはいつか私とは別の性別の人と付き合って、私を裏切るに決まってる」と言われたこともあります。こういった考えは、バイセクシュアルは性的に奔放でクローゼットであるという有害なステレオタイプに基づくものです。こういった言葉を聞くたび、私のクィアとしてのアイデンティティは傷つき、自分自身のセクシュアリティの一貫性を自分で信じられなくなりました。

 

 

 

 

長い間、私はバイセクシュアルであるということに葛藤を抱えてきました。私のセクシュアリティに自分で納得するには非常に長い時間が必要でした。幼い少女だった頃に女性に惹かれた記憶はあっても、男性にも惹かれたから、自分をクィアとはみなしていませんでした。男性への関心のほうだけをほかの人には見せてストレートのふりをし、より普通の女性的な振る舞いをし、クィアな人たちとの交流をあまりしないようにしていました。

 

私のクィアな欲望を行動に移すより、私の本当のセクシュアリティを否定して女性と一緒にいたいという気持ちを抑圧することを積極的に選んでいました。ほかの人に自分のセクシュアリティが受け入れられると思わなかったし、自分自身を受け入れてもいなかったから、そうしていました。

 

大学生になって女性と恋に落ちるまで、カムアウトしたこともありませんでした。彼女と付き合っていた時でさえ、私は彼女にキスをしたり公の場で手をつないだりすることを恥ずかしがっていました。同性愛的な欲望をもつことは恥だと育てられてきて、ほかの人に自分がそうだと思われたくなかったのです。自分自身がクィアであることの恐れを内面化するあまり、卑怯にも私たちの関係を秘密にしようと彼女に頼みさえしました。

 

結局彼女とは別れて、数年後別の女性と恋に落ちた時、私は報いを受けることになったのです。彼女は私よりもかなり年上で、しっかりとした仕事のキャリアがあり、完全にクローゼットでした。彼女は彼女の友達に私を「友達」として紹介し(紹介してくれるようなことがあった時には)、彼女の家族は私のことを(いつも家族行事に出席する)「ルームメイト」としか思っていませんでした。彼女は家族に何も伝えていませんでしたが、私に対しては、家族はもうすでに気づいていると思う、と言っていました。

 

実際のところ、私がそうして欲しいと思うようには、私は彼女のパートナーとして認識されることはなく、私たちの関係がちゃんとしたものだと信じることは難しいことでした。クローゼットのパートナーをもつことは私にはつらかったのです。その頃私はクィアとしてのアイデンティティをようやく受け入れようとしていたから、とくに。

 

今は、私は自分がクィアであることを受け入れているけれど、今度は私のセクシュアリティが、その時私が付き合っている人の性別によって判断されるのではという別の気がかりがあります。私にとって、きっとほかの誰しもにとって、それは公平ではありません。なんで私のバイセクシュアリティはシンプルに私のものではないの?

 

女性のセクシュアリティは、他者との関係に基づいて強制的に定義されてきた長い長い歴史があります。有色人種の女性の場合、とくにそうです。たとえば夫や奴隷所有者の財産とみなされ、女性たちは性的自律の権利を繰り返し否定され続けてきました。さらに、社会の異性愛規範のもと、あらゆる女性は、女性が自分で自分のセクシュアリティは違うと示すことができなければ、自動的にストレートとみなされ、人々は、パートナーの性別によってその人のセクシュアリティを決める権利があると思い込んでいます。

 

私もまた、私が異性と付き合っている限り、自分はストレートなのだろうと思っていました。恐れのために、何年も男性とだけ付き合うようにし、女性に惹かれる気持ちを無視してきました。異性愛者としてパスしながら、クィアであるという特権にしがみつこうとしている自分がいました。カミングアウトした後に周りの人から向けられる奇妙な質問のことを考えると、ストレートを演じるほうが良いと思ったのです。

 

異性愛の仮面の後ろに隠れるのは、私なりにほかの人が居心地が悪くならないことを優先した結果でした。私が同性と異性に惹かれるというのを友達や家族に説明するよりも、ストレートのふりをすることのほうが私には簡単でした。結局、私はストレートではなく、ストレートのふりをすることで自信を失い、どう振る舞えばいいのかわからなくなってしまいました。

 

有色人種の女性でバイセクシュアルであるという、多くの意味で社会的に周縁化された存在として、カミングアウトした後にストレートの男性と付き合うのは少し警戒が必要なことだと思うようになりました。経験からいって、ストレート男性はバイセクシュアル女性と付き合えば、ほかの人をベッドに誘ってもいいと思っています。それに、多くのストレート男性は、私たちが付き合ってるからって、私たちの両方がストレートであると思い込みがちです。

 

男性と付き合うことは、それでも私のクィアなセクシュアリティの一部ですが、彼らと付き合うということについて考え直しています。長い間ストレートのふりをしてきた私にとって、異性愛的家父長制の思い込みのせいで私のクィア性がないことにされてしまわないようにすることは、とても大事なことです。ストレートの男性と付き合っていても、私はほかの人に自分はバイセクシュアルだと言います。今でも、私がストレート男性のパートナーと付き合っている時に、他の人が私をストレートだと思うのではないかと気になってしょうがありません。ストレートの人と付き合うことは昔なら安全と感じたけれど、今は私のクィア性を覆い隠してしまうような不安を感じます。

 

私がちゃんとクィアだということを証明しなければ、と不安になるのです。私がクィアとしてのアイデンティティを受け入れるようになって、私のアイデンティティを受け入れてくれるクィアな仲間に今は囲まれています。仲間たちは私のアイデンティティを尊重してくれるし、他の人がなんと言おうと、バイセクシュアルは本物だと肯定してくれます。私のバイとしてのプライドを含め、私を私として受け入れてくれています。

 

でも完璧なんてありません。私はまだ、ストレートの人と付き合いながら、自分のクィア性を手放さない方法を考え続けています。クィアについての厄介な対話にどう挑めばいいのかを学んでいます。自分に正直であることは、私が付き合っている人に私を定義させないということ。それ以外のこと?私もまだよくわかっていないから、わかったらまた知らせますね。

 

Kristen Rogers is a graduate student studying clinical mental health counseling, and the author of a book of poetry, Kristen’s Diary. When she isn’t seeing clients, she’s drinking wine, in downward facing dog, writing a poem, or catching up on Modern Family. Catch up with her at Kristen.the.poet@gmail.com .