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オスカーに冷遇される「キャロル」:問題はレズビアンではなく男ぎらい

The “Carol” Oscars Snub: The Problem Isn’t Lesbians, It’s Misandry

オスカーに冷遇される「キャロル」:問題はレズビアンではなく男ぎらい

 

Heather Hogan

2016/1/14

 

原文はこちら。 http://www.autostraddle.com/carol-didnt-get-oscar-snubbed-because-its-too-gay-it-got-oscar-snubbed-because-it-dismisses-men-324022/

 

[映画「キャロル」の内容に触れているので、ネタバレを避けたい人は読まないほうがよいかもしれません。]

 

 

今日のオスカー賞の受賞候補の発表までに、「キャロル」は世界中の映画批評家協会から最優秀作品賞にノミネートされてきました。実際、「キャロル」が受け取った200以上の賞のリストについて、Wikipediaには独立のページが作られているほどです。今朝、映画芸術科学アカデミーも主演女優賞、助演女優賞など多くの部門で「キャロル」をノミネートしました。しかし、作品賞部門にはノミネートされませんでした。作品賞部門には10作品ノミネート可能なのに、8作品しかノミネートされていない事実を踏まえれば、これは奇妙な冷遇だといえます。ネット上では一体何が起こっているのか騒ぎになり、Vanity Fairなどの娯楽雑誌は、「キャロル」があまりにも同性愛的であったからだと結論づけました。

 

 

でも待ってください。2010年にノミネートされた「キッズ・オールライト」も同性愛の話だったのではないですか?2008年の「ミルク」は?2005年の「ブロークバック・マウンテン」は?そうです、アカデミー賞はこれまで、繰り返し、同性愛の映画は問題ないと示してきました。アカデミー賞——その投票に参加している76%は男性ですーーにとって問題なのは、映画が男性の経験を中心においていないことなのです。一人の男性を通じて家族を立てなおそうとするレズビアンの母親カップルにフォーカスした、一応レズビアンの映画である「キッズ・オールライト」さえ、片方がその男性とセックスします。「キャロル」はレズビアンのラブストーリー、より正確にはクィアの成長物語ですが、男なんてぜんぜん必要としていない女性のことをまったく理解できない、鈍くさく、不器用で、えらそうな男を完全に拒否する話でもあります。

 

(* オスカーの投票者の94%が白人であり、そのため今年もノミネートされた俳優と女優が全員白人であることにつながっているというのは驚くべきことではありません)

 

今年の作品賞部門のノミネート作品を見てみましょう。その大多数は男性のA級スター、もしくは男性のA級スターのグループ(ときにトークンとしての女性)を主役としています。多くのフェミニストに好まれた、家父長制をぶっ飛ばすかつてないアクション映画である「マッドマックス:怒りのデスロード」でさえ、映画の宣伝においてはマックスのキャラクターに頼りっぱなしでした。そしてフュリオサが映画の真のヒーローであるにもかかわらず、マックスがつねにそこに、背景に、屋根に、車の下に、塵の中にいて、うなり、壊し、叩き、叫び、見ている人に男がそこにいること、男は必要であるということを忘れないようにさせているのです。(そして実際、彼は正しいのです。強く偉大な男が主役でなければ、この映画は制作までこぎつけなかったでしょう。)

 

「キャロル」の監督であるトッド・ヘインズも、男性中心的な経験を物語の中心に置くことを拒否し(たとえばヘインズ監督は劇中でテレーズがリチャードに手でしてあげるシーンをカットし、スクリーン上での男性の快楽を控えることにしました)、今季のアカデミー賞レースで冷遇されています。監督はさらに、「キャロル」の観客に男「を」笑うことさえ許すという大胆な決断をしました。男「と」笑うのではありません。クィアな女性の目を通して、「キャロル」の中の男性たち——夫や彼氏、二枚舌で知ったかぶりの小物売りーーの馬鹿らしさ、根拠の無い自信、退屈さを、隠すことなく笑いとばすよう観客を促しているのです。1952年に!

 

キャロルの夫、ハージは、彼女をコントロールするためにあらゆることをします。彼女の友達から遠ざけ、感情的に身体的に萎縮させ、娘を人質に脅迫し、彼女とテレーズを付け回して彼女たちの関係が有罪である証拠をあつめるために私立探偵を雇います。クリスマスを彼と一緒に過ごすようキャロルに迫るとき、彼は彼女を一人にしたくないといいますが、キャロルは親友で元恋人のアビーが一緒に休暇を過ごしてくれるからと言います。キャロルは本当に、ハージを必要としていないのです。彼が泥酔してキャロルの体を弄ろうとした時、キャロルは彼を床にたたきつけたし、彼が夜中にキャロルを虐待するために現れた時、アビーは彼の目の前でドアをバタンと閉めました。極めつけに、キャロルはもう自分の心を殺しながら生きることはしないと誓い、彼と部屋いっぱいの男性弁護士たちのもとを去るのです。有毒な男性性の権化であるハージを、キャロルはファーコートのように脱ぎ捨てるのです。

 

同様に、テレーズの彼氏、リチャードはテレーズの関心をなんとか引こうとして、何度も彼とヨーロッパ旅行に行くよう迫り、一方的に「愛してる!」と叫び、テレーズはドアを閉めてキャロルの車で去っていきます。テレーズが彼に愛情を返さないとようやくわかったリチャードは激怒しますが、それは彼女のことを特別だと思っているからではなく(リチャードはテレーズになぜ彼女を愛しているのかさえ言えません)、自分に彼女を妻にする資格があると思っているからでした。ボートのチケットを買ってやったのに!良い仕事にもついたのに!俺にかりがあるはずだろう!

 

ヘインズが描くキャロルとテレーズの世界から見る男性は、彼女たちがトミー・タッカーという押し付けがましい小物売りとコーヒーを飲むシーンに最も明らかです。彼はテレーズとの朝食に勝手に押しかけてきますが、キャロルは彼の存在をほとんど無視し、自己紹介することもなく席につき、彼の方を決して向きませんでした。あぁ、キャロルは、トミーが彼女たちにソーイングキットを買わないかと言った時には横目で軽蔑の視線を向け、彼女たちが計画しているよりも良いシカゴ行きのルートを知っているとしゃしゃり出てきた時には冷笑し、彼がいかに馬鹿らしいかについてテレーズと愛情たっぷりの視線を交わすことに満足していたのでした。「キャロル」に登場する他の男と同様、彼は余分で、お互いしか目に入らないキャロルとテレーズが歩み寄っていく道の小石でしかないのです。

 

私はキャロルを何度も観ましたが、その度、劇場にいた男性たちは映画の間居心地悪そうに笑っていました。映画の途中で立ち上がって出て行く男性も何度も見ました。インターネット上の巨大な娯楽サイトの男性批評家たちが、キャロルは良い映画ではない、なぜなら実生活においてカイル・チャンドラー[ハージ役の俳優]をほっておく女性なんていないからだ、なんて言っているのも見ました。

 

ロードトリップの最初の日、キャロルがテレーズにリチャードが恋しいかと聞くと、テレーズは楽しげにこたえます。「いいえ、彼のことなんて今日一日全然考えなかった!」

 

リチャード、そして世界はなんでも思い通りになると思っている男のジョーク。これまで観てきた映画の中でも一番好きなセリフです。残念ながら、男性性に支配されてきた歴史ある組織に、女性の才能を認めろと説得しようとするときには、女性に男なんて忘れろと促すのは最善の戦略ではないのですが。

 

もし「キャロル」が本当にオスカーの最優秀作品賞がほしかったなら、ヘインズ監督はハージにキャロルを捕まえさせ、キャロルを傷つけたクマを追い払わせ、トーチを振りながら、男、野郎ども、フェラ、不良、男の子、男の絆は必要だと英雄的な歌を延々と歌わせ、キャロルとよりを戻させないといけなかったでしょう。