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feminism matters

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女性の「選択」を重視するフェミニズムと内面化された女性嫌悪について:なぜ私たちは家父長的な抑圧に加担してしまうのか

フェミニズム101

On ‘Choice’ Feminism and Internalized Misogyny: Why We Participate in Patriarchal Oppression

女性の「選択」を重視するフェミニズムと内面化された女性嫌悪について:なぜ私たちは家父長的な抑圧に加担してしまうのか

 

2014/7/25

Erin McKelle

 

原文はこちら。http://everydayfeminism.com/2014/07/choice-feminism-internalized-misogyny/

 

女性の見た目について批判をしたことがありますか?ファッション誌のモデルみたいになれればと思ったことは?ダイエットをしたことは?ムダ毛を剃ったことは?

 

女性であれば(そうでなくても!)、これまで生きてきた中で、全てでなくてもどれか一つぐらいはやったことがあるでしょう。でも、フェミニズムに出会った後にもしましたか?性差別的なことだと知りながら、家父長的な社会のプレッシャーに負けて?

 

あなたの答えはyesなのではないかと思います。なんでわかるかって?なぜなら私も、自分をフェミニストと呼ぶようになってからも、これら全てをやったことがあるからです。私たちはみんな自分たちの抑圧の共犯者になりえます。性差別に責任があるのは常に他人であったり、違う性別の人たちであるとは限りません。ときに、それはあなた自身なのです。

 

 

どのようにして女性嫌悪の内面化が起こるのか

 

ミソジニーの内面化とは「女性たちが、彼女たちの生きている社会や文化の中にある性差別的なメッセージを、非自発的に自分の考えとして取り入れてしてしまう」ことです。基本的には、私たち自身が女性であるにもかかわらず、女性嫌悪的な考えをもったりすることを言います。非自発的というのは、私たちの文化の中にある性差別は、私たち自身がどうこうできる余地は少ない社会化(社会的な交流を通じて文化を身に着けていく過程)を通じて教えられるものだからです。

 

私たちは性差別主義者として生まれるわけではありません。あなたが子宮から出てきたときすでに、女性は劣った存在だと思っていた、というわけではないはずです。社会を観察し、学び、理解するなかで、女性嫌悪的なものを含めて、広く共有されている態度や考えを持つようになるのです。

 

社会化とは人格形成の一部であり、つまり、あなた自身や他人についての考え、あなたの周りの世界との関わり方、態度、振る舞いを形成する過程です。だから、あるアイデンティティの人々や同じ文化圏からきた人たちが、しばしば、似たような人格の特徴をもっていたり、似たような振る舞いをしたりするのです。社会化の目的は、ある人の人格を、同じアイデンティティ集団や文化を共有する他の人達とフィットするように形作ることにあるので、こういうことが起こります。

 

社会化の大きなゴールは画一性です。

 

たとえば、西洋社会において男性と女性が座る方法について考えてみてください。少し周りを見て、電車や病院、レストランなどを観察してみると、何か違いがあることに気がつくと思います。男性が足を広げてすわりがちで、女性は足を組んだり、閉じている場合が多いということに気がつくでしょう。なぜなのでしょう?女性は足を閉じて座る本能とともに生まれ、男性が足を広げて座る本能をもって生まれた、なんてはずがありません。これは社会化の結果です。私たちが座る方法はジェンダー化されており(他のあらゆるものや行為同様)、観察を通じ、もしくは直接的な教育によって、獲得されるものです。誰かがあなたに「女らしく上品に座りなさい」と言うのを聞いたことがありませんか?これが社会化です。

 

あなたのお母さんが「太っちゃった」と言っているのを聞いた時、おじさんが性差別的なジョークを言う時、ダイエット薬の広告をテレビで見たり、あなたのベビーシッターが誰かを淫売と呼ぶのを聞いた時—こういうことは、多くの人が信じているのとは違って、あなたの頭をただ通りすぎていくわけではありません。あなたはこういうメッセージを取り込んでいくのです。そして、これら一つ一つのことは大きなインパクトがないように思えても、山のように積み重なれば大きな影響を生むと予想できるでしょう。そして実際、そうなのです。

 

こういったメッセージたちは、あなたが周りの世界をどう考え、認識するかということの一部になるだけでなく、あなたがあなた自身をどう考えるかに影響をあたえるのです。こうして、言い換えれば、内面化されたミソジニーが、自分ではどうしようもなく、あなたの考えの一部になるのです。私たちの社会を性差別という病から解放しなければ、内面化されたミソジニーもなくなりません。

 

 

女性の選択を重視するフェミニズム

 

内面化されたミソジニーについて解っていただけたところで、次はこれがどのようにフェミニズムに繋がるのかを考えます。

 

フェミニズムは女性の選択を意味するのだという話はよく聞きます。つまり、女性が家父長的だったり抑圧的とされる振る舞いをしていたとしても、自分で選んだのであって、選んだということ自体がフェミニスト的な行為なのだと。たとえば、あなたが結婚して、将来の配偶者の名字に改名すると決めたとします。誰かにこの自分の選択は「フェミニスト的ですか?」と尋ねれば、誰か一人はきっと「ええ、自分が自由意志で選んだのだから、それはフェミニスト的ってことです」と言うでしょう。

 

さて、女性が夫の名字に改正することは、女性を男性の所有物とする伝統に由来しています。文字通り、彼の一部になるから、同じ名字を名乗るのです。でも今はそんな時代ではありません。そうですよね?名字を変えるのはもう義務じゃないんです!オプションの一つであって、それを「あえて」選ぶこともできるのです。

 

焦らないで。ここで考えないといけないことがあります:私たちはこういうことを本当の意味で選んでいるのでしょうか?それとも、これは抑圧の結果なのでしょうか?もちろん、私は自分の足の毛を剃らないことを選べます。そういうことを要求する法律はないし、足の毛を剃らなくても罪になるということはありません。

 

でも、きっと社会的な制裁に直面するでしょう。周りにじろじろ見られるかもしれません。知らない人から非難めいた目で見られるかもしれません。気になっているひとが私にアプローチしてくるのをやめるかもしれません。失礼なことを言われるかもしれません。職や友達を失うかも。嫌がらせをうけさえするかもしれません。

 

だから、私が足の毛を剃るのは、私が自分の選択の権利を行使して選んだことだと本当の意味では言えないんです。周りに私の体を勝手にジャッジされるからしかたなく足の毛を剃るのです。足の毛を剃らなければ他の人から敬遠されるかもしれず、足の毛を剃れば、外に出て行ったとき社会に受け入れられる可能性が増えるからそうするのです。

 

でも、この「足の毛を剃る」という決定の後ろにあるのは、社会の女性嫌悪だけではありません。私が内面化した女性嫌悪もあるのです。私が足の毛を剃るのは、そのほうが見た目が良くて気分が良いと「私が」思うからです。足に毛が生えているのを見ると、汚いし気持ち悪いと「私が」思っているのです。毛がないほうがより女性的だと。これは、私自身の内面化された女性嫌悪の一例がどう機能するかの一例です。

 

もし私が結婚したときに名字を変えるとしても、同じことが言えます:女性はもう改名する義務はなく、それはただの選択肢の一つです。でも、もし私が結婚して名字を変えなかったら、社会的な制裁があるでしょう。友達や親戚から、どうして旦那と名字を共有しないのかと質問攻めにされるでしょうし、そうしないことで悪いパートナーと思われるかもしれず、私が「(旦那の名字)さん」と呼ばれて返事をしない度に、他の人が眉をひそめるのを気にしないといけないでしょう。でも、私自身も、夫の名字に改名しないことを選ぶ私は良い妻ではないのだろうかと思ってしまうでしょう。内面化されたミソジニーがここにも!

 

ですから、単に女性が自分で選んだということだけをもって、その行動が常にフェミニスト的であるとは言えないのです。でも、もっと重要な事は、現実にはこういった選択は、ほんとうの意味での、正直な選択ではそもそもなかったということです。

 

ロジックを超えて

 

だから、フェミニストになれば、家父長制の縛りから魔法のように完全に解放されるということにはならないのです。性差別に繋がることをしているとわかっていても、また、そういうことをしている自分に怒っていても、私たちの内面化された女性嫌悪や私たちの文化の女性嫌悪が、私たちが拒否したはずの考え方を私たちの中に戻してくるのです。女性は、社会的制裁の伴わない選択肢というのをたくさん持っているわけではありません。だから、女性が自分で選ぶことのみをフェミニズムと考えると、失敗します。選択に見えるものも、実際には私たちが自由に選べるものではないからです。

 

フェミニストも反フェミニズム的なものを捨てられない

 

全ての選択がフェミニスト的であるわけではなく、全ての「選択」が実際には選択であるわけではないため、フェミニストであっても、反フェミニスト的なことをしてしまうことがあります。あなたがフェミニストになれば、突然、あなたのやることなすこと全てがフェミニスト的な行動となるという考えがありますが、それは単に間違っています。

 

フェミニズムは、あなたがフェミニズム的ではないことをしないようにさせてくれる魔法の薬ではありません。現実には、人間は複雑で多面的であり、フェミニズムはある人のアイデンティティや自己感覚の全てを構成するわけではありません。フェミニストであることは、土日も休みなく1日24時間、フェミニストとしてのスイッチをonにしているということを意味しません。

 

フェミニストは反フェミニスト的なことをしてしまいます。でも重要な事は、それでも構わないということです。「完璧」でなくてもいいし、社会(もしくは運動)において考えられているフェミニストらしさに常に当てはまらなくてもいいんです。そのせいであなたが悪い人、悪いフェミニストであるということにはなりません。

 

なぜかって?私たちの生きている反フェミニスト的な世界は、フェミニスト的に生きていく主体性を私たちに与えてくれることは稀だからです。先に述べたように、私たちは、社会が「これはあなたの選択しだいです」というものについて、実際には多くの選択肢を持っていないのです。

 

また、フェミニズムは、女性は完璧でないといけないとか、理想の女性らしさにかなうように生きなくてはならないとかいう考えを破壊するために生まれたものです。女性をある特定の女性像にあてはめようとすることこそ、そもそもフェミニズムが生まれた理由なわけです。

 

だから、あなたはこれから反フェミニスト的なことをするかもしれませんが、それはあなたの人間としての価値とか、フェミニストとしての価値とは関係がないのです。

 

***

 

私たちが生きている社会は、私たちに多くの選択肢を与えてくれるわけではありません。だから、次あなたが、自分のやっていることは本当にフェミニスト的なのだろうかと自分に問うことがあったら、もしそうでなくてもいいんだということを思い出してください。

 

あなたは「良い」フェミニストであるために常にbell hooksになりきっている必要はないし、家父長制を支えることに繋がるあらゆることを避けるべく血眼になる必要もありません。

 

私たちは反フェミニスト的な世界に行きていて、私たちの日常には私たちの理想にいつもかなうオプションがあるわけではないのです。たとえ「屈した」としてもあなたが悪い人間だということにはなりません。社会に問題があるのであって、あなたに問題があるのではないからです。

 

 

 

Erin McKelle is a Contributing Writer for Everyday Feminism. She’s an e-activist, video blogger, student, and non-profit advocate who has launched several projects, including Fearless Feminism and Consent is Sexy. In her spare time, Erin enjoys reading, writing bad poetry, drawing, politics and reality TV. You can visit her site here find her blogging at Fearless Feminism, Facts About Feminism, and Period Positive. Follow her on Twitter @ErinMckelle and read her articles here.