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feminism matters

英語(とたまに韓国語)のクィア・フェミニズム系記事の翻訳の貯蔵庫。

サパティスタの女性活動家による今日の社会運動のための教訓

社会運動 歴史

The Lessons of Zapatista Women Activists for Today’s Social Movements

サパティスタの女性活動家による今日の社会運動のための教訓

 

2016/2/1

James Tracy

 

原文はこちら。http://inthesetimes.com/article/18812/zapatista-women-ezln-subcomandante-marcos-companeras-hilary-klein

 

1994年1月1日、メキシコ南部の州Chiapas出身の先住民の農民に主に構成されたサパティスタ民族解放軍(EZLN)はメキシコ政府に戦争を宣言しました。それはNAFTAが調印された日でもありました。共産圏が崩壊して3年たち、サパティスタは先住民の見方と「服従を通じたリーダーシップ」と呼ばれる組織モデルを組み合わせた独特の政治的立場を示しました。これはアナーキストと社会主義者の政治的伝統を反映したものでした。彼らは反グローバル化/グローバルな正義のための社会運動の触媒となり、サパティスタのエートスは、旧来の左派政党とも拡大するグローバルなネオリベラルなプロジェクトとも異なる、両方に対するオルタナティヴとなりました。インターネット時代の幕開けに、反抗のアートを素早く身につけ、サパティスタは若い活動家のインスピレーションの源となり、彼らは北米からヨーロッパに、サパティスタとともに行動しながら旅していきました。

Hilary Kleinはそのような若い活動家の一人でした。彼女は1990年代にサパティスタのコミュニティで長い時間を過ごしました。アメリカに戻ってから、彼女はMake the Road New Yorkを組織し、現在はCenter for Popular Democracyで働いています。彼女の新しい著作Compañeras: Zapatista Women’s Storiesはサパティスタにおける先住民女性の役割について英語で書かれた最初の本です。

 

 

なぜあなたはサパティスタの地下コミュニティへ行き、そこで生活したのですか?

 

サパティスタのコミュニティで暮らそうと思ってメキシコに行ったわけではありませんでした。私が1997年にChiapasに行った時、滞在予定はたった6週間でした。メキシコ軍から継続的に攻撃を受けているサパティスタの要請を受けて、人権オブザーバーとして向かったのです。外部の人間がいることが、こういった攻撃を防ぐことにつながることはままあり、もし攻撃が起きても、少なくとも記録して行動を起こすことができますから。

 

でも行ってみてすぐ、私はサパティスタの運動に魅了されたのです。リスクをとって新しい物を生み出そうとする勇気、尊厳、意志に、です。とくに、運動の中の女性の役割に衝撃を受けました。たくさんの類まれな女性のリーダーたちがおり、サパティスタの女性たちはジェンダー役割の大きな変化をすでに起こしていました。同時に、それは現在進行形のことでもあったのです。目の前で歴史が動いている感じでした。離れられるわけがありません。

 

ですから、私はそこに残ることに決め、サパティスタのコミュニティの中で、女性の経済的共同組合と行動しました。最終的に、6週間ではなく6年そこにいることになりました。

 

サパティスタの何が北米や他の地域のラディカルな人々の想像力や関心をかきたてたのでしょうか?

 

歴史的文脈を覚えておくことは重要です。サパティスタの蜂起は1994年、冷戦の終わりでした。ベルリンの壁が1989年に崩壊した後、資本主義者たちは勝利と「歴史の終わり」を高らかに宣言しました。世界中の活動家やオーガナイザーたちはそれがまったく的はずれであることを知っていましたが、私たちの世代の間に、みんな答えが出せないでいる問いが宙吊りになっていたのです。新しい解放運動はどんな姿をしているのだろう?サパティスタ運動は、その歴史的瞬間に世界に登場し、その問いに対する魅力的な答えとなったのです。

 

サパティスタのイメージはいつも衝撃的なものでしたー先住民の農民たちが木製ライフルをもってメキシコ政府に戦争を宣言したのです。顔を黒のスキーマスクか赤いバンダナで覆い、彼らは顔なき人々の顔、声なき人々の声となりました。メキシコの南部の農民たちが土地と先住民の権利を求めるという、自分たちの置かれた状況に特化しつつも、同時に、非常に普遍的でもある運動に多くの人々が感銘を受けました。サパティスタは世界中の人々が自分事として考えられる ような11の要求を示し、労働者であれ、学生や主婦であれ、老いも若きも、都市に住もうと田舎に住もうとグローバル資本主義が共通の敵なのだと名指しました。

 

サパティスタの誕生秘話について考えています。よく知られているのは、大学教育をうけた都市の革命家たちが、Chiapasに行って先住民の人々を組織化したものの、Chiapasの人々によって運動はまったく異なる姿に変化したというものです。サパティスタを支持しに向かった国際主義者についても同様のダイナミクスがあったのでしょうか?

 

その誕生秘話には多くの真実が含まれます。もちろん、非常に単純化されてしまっていますが、サパティスタ運動の異なる革命的なフレームワークを引用し、様々な政治・文化的伝統を取り入れる力が、この社会運動が非常に説得力のあるものになり、何年も続いた要因だと思います。国際主義者については、一般化することはより困難です。多くの国から多くの人々がやってきて、Chiapasで時間を過ごしました。関係性が時間をかけて出来上がっていくのを見るのは非常にしびれました。

 

蜂起の直後は、サパティスタはどんな種類の連帯も歓迎しました。彼らにはリソースが必要だったし、メキシコ軍から身を守るために、外部の人間—国際主義者も、メキシコの他の地域の人々も—が必要でした。しかし、サパティスタのなかで、先住民の自律のためのプロジェクトがより確立されるにつれて(サパティスタは自分たちのローカルな地方政府、保険・教育インフラ、共同と連帯に基づく経済構造を発展させていました)、EZLNは、外部からの連帯は、サパティスタのコミュニティが示したニーズに応えるもの、そしてサパティスタのリーダーシップを尊重するものでなければならないと明確にしました。

 

1990年代後半、多くの人々が、サパティスタの村で暮らすのをやめました。先住民の農民たちに何をすべきか指示されるのを嫌ったからです。しかし、残った人々もおり、そういう人たちは互いへの信頼と尊敬に基づくより健全な関係を築きました。

 

あなたの本が世にでる前まで、サパティスタ運動の中での女性の役割についてはあまり理解がされていませんでした。なぜ人々のサパティズモの理解はマルコス副司令官で止まってしまうのでしょうか?

 

マルコス副司令官はEZLNに選ばれたスポークスパーソンで、サパティスタは自分たちについてどんな情報を世に出すのか非常に慎重です。ゆえに、外部の人達がサパティスタ運動について聞くとき、それがマルコスの声を通してであることは彼らの選択でもあります。マルコスは卓越した作家で、詩的かつ明確に、広い聴衆に声を届けることに成功してきました。しかし、彼についてのパーソナリティのカルトが広がっていくのは運動を助けることではありませんでした。マルコス副司令官は一歩引き、先住民のMoisésが新たな副司令官になりました。

 

サパティスタの女性についての情報は、探せば見つけることができますが、マルコスについての情報をくぐりぬけた先にしかありません。そして、情報だけでなく、サパティスタの女性の声についてもギャップがあると思います。私の本がサパティスタの女性たちが自分たちの物語を語る乗り物になればと思う理由の1つがそれです。

 

この本を書くことで、社会運動の中の女性についての理解はどう変わりましたか?

 

私の理解は「変わった」というより、深まり、発展しました。サパティスタ運動の中で女性のリーダーシップが時間とともに強くなっていき、女性の政治参加の増加と他の生活圏—家族、ヘルスケア、教育—での変化の相互作用を目撃するというすばらしい機会を得ました。この国や国外で、サパティスタ運動への女性の参加の増加と、他の社会運動への女性の参加の間にパラレル関係が見られたことは忘れられません。もちろん文脈も、女性たちが直面する困難や機会も異なってはいますが、同じテーマが何度も各所に登場するのです。

 

アメリカでは、フェミニズムは再び激しい議論の主題になっています。例を上げればキリがありませんが、キャンパスでの性暴力、オンライン上のミソジニー、ヒラリー・クリントンの大統領選への出馬などがその背景にあります。この議論を深めるために、あなたの本から得られる教訓はあるでしょうか?

 

間違いなくあります。この国で、女性の問題はしばしば非常に個人的な問題として語られます。サパティスタの女性からの最も強力な教訓の一つは、女性の権利と人民の集団としての権利は相互に排他的ではないということです。サパティスタの女性は自分たちの女性としての権利のために闘いながら、先住民としての権利についても同時に闘ってきました。キャンパスの性暴力を例に取ってみると、長い間、性的暴行事件は互いに孤立した事件として扱われてきました。サパティスタの領域では、女性たちはDVの問題に取り組むために、制度化された暴力の文化を変えるべく働きかけました。女性たちは、「女性の革命法」のなかに女性が暴力を受けずに行きられる権利を含め、サパティスタコミュニティでのアルコール禁止を訴え、助成に対する暴力についての政治的教育とコンシャスネス・レイジングに取り組んできました。大学キャンパスで暴力の文化を変えようと闘う女性にとっても、重要な教訓がここにはあるでしょう。

 

ヒラリー・クリントンの出馬に関しては、サパティスタの女性たちが教えてくれる重要な教訓は、伝統的な男性的なリーダーシップや、資本主義に内在する搾取的なパワーダイナミクスを真似ることのない、女性のリーダーシップの姿がどんなものなのか、ということにあると思います。

 

サパティスタは今日でも重要でしょうか?

 

間違いなくそうです。サパティスタ運動は15年、20年前ほど国際的な注目をあつめることは少なくなりましたが、いまでも現役です。(メキシコ政府が20年以上にわたって鎮圧作戦を仕掛けていることを思えば、これは驚くべきことです。)

 

サパティスタの先住民の自律についてのプロジェクトは、いまでも、グローバル資本主義についてのローカルで地域的なオルタナティヴのモデルを提供しています。サパティスタは、他の社会運動を支持し、インスパイアする重要な役割を果たしています。

 

メキシコでは、たとえば、2014年9月にAyotzinapaの地方の教職大学から43人の学生が誘拐され、おそらく殺害された後、政府の腐敗とドラッグに対する戦争での武力行使に反対する抵抗運動が起こりました。EZLNは消えた43人の学生の親族やAyotzinapaの学生たちとともに一連のイベントを開催しましたが、多くの人々がサパティスタ運動を重要な参照点として挙げました。サパティスタの女性たちーそして彼女たちの勇気と尊厳の物語ーは、革命的な闘争は家父長制の問題に取り組むことなくしてすべての人民の集団的解放なんて達成できず、女性の自由は人種、経済、社会正義の問題と切り離すことはできないということを思い出させてくれます。