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feminism matters

英語(とたまに韓国語)のクィア・フェミニズム系記事の翻訳の貯蔵庫。

どうしてKeshaを守ることができなかったのか

How We Failed to Protect Kesha

どうしてKeshaを守ることができなかったのか

 

2015/2/19

Madeleine Davies

 

原文はこちら。http://jezebel.com/how-we-failed-to-protect-kesha-1760142637?rev=1455919725651

 

女の価値とは?彼女の身体、安全、心、キャリアの価値とは?それを決めることができたとして、その価値は男の、ビジネスの、コングロマリットの価値とつり合うでしょうか?それとも、全くつり合わないのでしょうか?

 

 

2月19日、ニューヨーク州最高裁は、ミュージシャンのKeshaはSonyとKemosabeとの契約関係に法的に縛られると判断しました。SonyとKemosabeはDr. Luke (実名はLukasz Sebastian Gottwald)に創設され、経営されているレコード会社で、Keshaは18歳で会社と契約をしたとき彼にレイプされ、今日までずっと性的暴行を受け続けてきたと主張しています。

 

Shirley Kornreich判事は、Dr. Lukeの手の届かないところで音楽活動ができるよう、裁判所から会社に命じるよう請求したKeshaの依頼を、彼女の身体的、精神的、性的な安全のための依頼ではなく、「しっかりと交渉された上のもので、音楽業界においては典型的な契約を破棄する」依頼だと表現しました。

 

Keshaの依頼書にはこう書いてあります。「私はDr. Lukeと仕事を続けることができません。身体的に不可能です。安全だと全く感じられません。」しかし、Dr. Lukeから離れることが絶対に必要だというこの明確な文章も問題にはならないのです。法的に、裁判所の道徳的な目からすれば、契約、そして企業が優先されるというのです。

 

絶望的なことですが、珍しいことではありません。アメリカの最高裁はすでに企業が人々と同じような権利をもつと判断しています。しかし、よく見れば、会社の持っている権利は妬ましいほどのものです——とくに、より言うことを聞かせやすい存在だと思われている女性の身体と声をもつものとされる人々の権利と比べると。あなたや私が声をはりあげるより、金のほうが大きな声をもちます。あなたがポップスターで、ファンが裁判所の前で何時間も応援のために待機しているような存在でも関係ありません。企業の利益は倫理や共感より、自律、自己決定、安全という基本的な権利よりも大きな声を持つのです。

 

10年も音楽業界で働いてきた28歳のKeshaは、自分にとって何が最善か自分でわかると思っていたはずです。彼女をレイプし、継続的に彼女を傷つけてきた男とのあらゆるつながりを切ることが、彼女にとって最善だと思ったのです。でも、何を知っていたというのでしょうか?SonyはKeshaの成功のために6000万ドルを投資してきたと、Sony側の弁護士は判事に伝えました。これに比べれば、感情的、身体的な侵害行為が何だというのか?と。

 

「彼女の成功が私たちの利益です」とSony側の弁護士は言います。「Dr. Lukeの成功も、私たちの利益です。これらは相互に排他的なものでは決してありません。」つまり、彼らは「私たちは彼女にとっての最善が何かを知っている」と言っているのです。そして、彼女にとって良いこととは、暴行を受けたという訴えを「あなたの話は無意味だ」と言う会社と、さらに6枚のアルバムを収録することだと言うのです。

 

Sonyがこんな主張をしていること自体吐き気のすることですが、よりゾッとするのは、この主張に裁判所が同意したという事実です。

 

Keshaが部屋の後方ですすり泣くなか、「商業的に妥当なことをするべきだと思います」とShirley Kornreichは判決を言い渡しました。

 

商業的に妥当なこと、ええ。Keshaは契約書にサインしました。SonyとKemosabeと法的な合意関係に入りました。でも、繰り返しますが、Dr. Lukeには誰もレイプせず、傷つけもしないという法的な義務があり、たとえそれが、創作活動において、また法的にも彼のコントロール下にある若い女性が相手であっても変わらないはずです。

 

契約不履行と人間の侵害行為が法定で突き合わされたとき、理想主義的な人なら、人間の安全のほうが優先されると思うでしょう。リアリストは、しかし、よく知っています。音楽業界は、他の業界と同様、自分の安全の方を優先させがちなのです。Sonyにとって「商業的に妥当なこと」は、Keshaのケースにとどまらず、契約関係にある女性の安全や健康と一致しないのです。

 

Keshaの請求を退けたKornreich判事の論拠の一部は、SonyはKeshaがDr. Lukeと離れて活動できるようにすると合意しているということでした。しかし、KeshaはDr. Lukeのレーベルと契約関係にあり、彼女の仕事は彼に属することになります。彼女は、彼女をレイプした男の創作上の所有物で在り続けるのです。判決はあまりにもむごく、いっそ神話のようです—ギリシア神話のペルセポネーは酷い契約の結果、冥界にとどまらなくてはならなくなりました—でも違います、この判決は現実なのです。

 

「商業的に妥当なこと」が「倫理的に妥当なこと」よりも常に優先され、「道徳的に妥当なこと」もそれに敵わないというのはよくありそうなことです。裁判所や私たちの文化は、女性の、これ以上ないほど明確な性的暴行の告発を聞き入れることもできないでいて、さらに、詳細がいちいち掘り返され、企業が何百ドルもの損失を被るというときに、私たちが法的、感情的、身体的保護を得られるチャンスなんてあるのでしょうか?Keshaほど力があり、地位もある女性が勝てないのに、残りの私たちに勝てる見込みなんてどれほどのものでしょうか。

 

覚えておいてください:彼らは私たちにとっての最善を知っているのです。