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feminism matters

英語(とたまに韓国語)のクィア・フェミニズム系記事の翻訳の貯蔵庫。

LGBTQ文化が主流になるにつれ、クィア女性は自分たちの居場所を見つけにくくなっている

クィア/LGBT

As LGBTQ Culture Becomes More Mainstream, Queer Women Struggle to Find a Place of Their Own

LGBTQ文化が主流になるにつれ、クィア女性は自分たちの居場所を見つけにくくなっている

 

2016/8/9

Hannah Smothers

原文はこちら。http://www.cosmopolitan.com/sex-love/news/a62531/queer-women-lgbt-places/

 

(訳注。日本語で「ゲイ」というとゲイ男性のみを指す場合が多いと思いますが、英語の形容詞としての「ゲイ」は「同性愛者の」という意味で男女両方に使うことができます。この日本語と英語の違いをうまく訳出するのが難しいので、この記事の翻訳では、カタカナの「ゲイ」を英語的な意味で使っています。)

 

昨年、ゆっくりと長い時間をかけて進行してきた現象—レズビアンバーがアメリカから消えていっている—を明らかにする記事やドキュメンタリーが立て続けに出た。ゲイバーや、レディーズ・ナイト(女性を好きな女性のためのイベント。女性がアルコールを安く買える日ではなく)をしているバーはあるが、クィア女性のためのバーはどんどん店を閉じている。

レズビアンバーがなくなるということは、出会いやナンパの場がなくなるということ以上の意味がある。それは、コミュニティをみつけ、居心地の良さを感じられる場所の喪失でもあるのだ。昨年発表された「最後のレズビアンバー」というドキュメンタリーで、「レズビアンバーの黄金時代とも呼ばれる50年代や60年代を振り返っても、レズビアンバーは出会いの場であるのと同じくコミュニティ形成の場でした」と南カリフォルニア大学のジェンダー・スタディーズの教授であるジャック・ハルバースタムは語っている。ゲイ、クィア、レズビアンなどと自認する女性たちにとって、コミュニティを感じられる場所や、仲間と出会える場所がなくなっていっているのだ。

自分の仲間と出会い、集まれる場所であるバーがなくなるにつれ、クィア女性たちはコミュニティの感覚を持てなくなっている。今年、HER(クィア、ゲイ、レズビアン女性のためのデートアプリ)は3000人のアプリユーザーにアンケートを行い、6月のプライド月間の感想を聞いた。多くのLGBTQ女性、とくにクィアもしくはバイセクシュアル女性が、LGBTQコミュニティ全体のための場、連帯の場であるプライドのイベントで、歓迎されていないと感じているとわかった。理由を尋ねられると、アンケート回答者たちは「いろいろなことがゲイ男性向けだと感じる」「イベントはだいたい男性が企画していて、レズビアンの影響力はほとんどない」といった解答を寄せた。つまり、クィア女性はあまりにも見慣れた力—ミソジニー、女性嫌悪—と、全ての人が歓迎され安全を感じられる空間を作るために必要な女性の声の抹消により、自分たちのコミュニティから疎外されているのだ。

NY市に住む、自分をゲイと自認している23歳の女性オリヴィア(仮名)は、コスモポリタン.comに対して、居心地の良い場所を探すのに本当に苦労していると語った。「フェムな女性たちにとって、自分たちがいても良いと思えるLGBTスペースを見つけるのは難しいと思う。周りの人が、私がクィアだということを信じてくれていないと感じる。」「たいていのLGBTスペースはゲイ男性に支配されている」とも。

NY市—LGBTQ文化の中心地とも呼ばれるが—には、もう3、4のレズビアンバーしか残っていない。Henrietta Hudson’s、the Cubbyhole、Bum-Bum Bar、そしてブルックリンのGinger’s Barだ。(ただし、オリヴィアはGinger’sは最近はレズビアンバーというよりはゲイバーだと感じるそうだ)。女性向けの店は閉店しているが、ゲイバーは繁盛しているようだ。少なくとも、同じ割合で閉店してはいない。NY市の「絶対に最高のゲイバー」リストには6店舗が掲載されているが、レズビアンバーは一つも含まれておらず、口コミサイトで「ゲイバー」を検索すると、ヒット数が多すぎるので地域でフィルターをかけないといけない。それぐらいゲイバーは多いのだ。

「どうしてなのか、確実なことは言えないけれど、NY市にレズビアンバーが3つしかなく、男性のための場はたくさんあるのには理由があると思う」とオリヴィアは語る。「客観的に見て、男性には選択肢が多い。毎日、女性だけのために開いている空間はほとんどない。「ガール・ナイト」「レズビアン・ナイト」をやるバーはあるけど、いつでも行ける女性のための空間はほとんどない。女性のための、と銘打たれた空間にさえ、いつも男性がいる。」

ドキュメンタリー「最後のレズビアンバー」で、ラトガース大学の社会学者アーリーン・スタインは「ゲイ男性向けのバーがレズビアンバーよりも多い理由の一部は、ゲイ男性が全体としてレズビアンよりも多くの経済的な資本へのアクセスをもっているということにある」と説明する。(つまり、男女の賃金格差はいまだにリアルで、不公平に男性を利している。)スタインはさらに、ゲイ男性はゲイバーが集まっている地域によく住むが、レズビアンたちは同じ地域から「ジェントリフィケーション」によって追われている。(訳注*ジェントリフィケーションとは、都市の再開発にともなって経済的に豊かな人たちがその地域に入り込み、家賃や生活費が高騰し、もともと住んでいた人たちがその場を追われる現象。)少なくとも、この問題は経済問題の側面を持っているということだ。レズビアンバーはビジネスとしてリスキーになっている。

しかし、文化的な問題という側面もある。「クィア文化のなかでも、ストレートの文化と同じように、男性と女性の空間両方で、男性性が女性性よりも価値があるとされていると思う」とオリヴィアは言う。クィアと自認する23歳のニューヨーカーのベッキー(仮名)は、コミュニティや安全で居心地の良い空間を見つけられると宣伝しているゲイ・スペースで、あからさまなミソジニーを経験したことがあると語った。

「男性が支配的なクィア・スペースで、ミソジニーを感じることは多い」とベッキーは言う。ゲイバーに来ているのがほとんど男性ばかりであるというだけでなく、「まんこキモい!」のような、女性がどれだけ気持ち悪いかについての物言いや、ゲイ女性なんていうのは好奇心による「フェーズ」でしかなく、数年後には男と付き合っている、といった、性差別的なジョークを耳にすると。「LGBTQ男性はLGBTQ女性をまともにとりあわないことがよくあります。女性はセクシュアリティについて男性より流動的で、本当にLGBTQであるか疑わしいと思っているんです。」とベッキーは言う。「この背景には、制度化されたミソジニーと、継続した女性の性的客体化(sexualization)があると思います。」ベッキーは、ゲイ男性であることとゲイ女性であることは同じではないということが理解されていないことにも憤りを感じるという。この2つの経験が同じであるはずがないのに。彼女の経験では、それは女性よりも男性に価値をおく性差別の文化への無知の現れだ。

オリヴィアもベッキーも何かを変えたいと思っているが、では実際にどんな環境が理想なのかという問題は難しいものだ。気持よくいられるところ、そして、クィア女性のセクシュアリティをまともにとりあわない、あからさまな、もしくは内面化されたミソジニーが存在しない包摂の場。「女性のための空間はほとんどなく、有色人種のLGBTQのための空間はもっと少ない。」「女性と有色人種の人々をより積極的に包摂することが、LGBTQのためのスペースのスタンダードになるべきだと思う」とベッキーは言う。

オリヴィアの心配事は複雑だ。主流社会が全体としてLGBTQ文化をより受け入れるようになるにつれ(良いこと)、クィアな人たちのための空間はもう必要ないと言われ、なくなっていく(悪いこと)。「コミュニティの感覚や、その場で受け入れられているだけでなく、自分という存在が祝福されていると感じられることは、まだ大事なことだと思う」と彼女は言う。「クィア性を祝福する空間やパーティーがもっとあればと思います。プライド月間の間だけでなく、いつも。」