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feminism matters

英語(とたまに韓国語)のクィア・フェミニズム系記事の翻訳の貯蔵庫。

レズリー・ジョーンズと私たちのなかのカラーリズムについて話そう

 

We Need to Talk About Leslie Jones and Colorism in Our Community

レズリー・ジョーンズと私たちのなかのカラーリズムについて話そう

 

2016/8/12

La Sha

 

原文はこちら。http://www.ebony.com/news-views/leslie-jones-colorism

 

数週間前、レズリー・ジョーンズが「ゴースト・バスターズ」のプレミアに着ていくドレスのためのデザイナーを見つけられていない、という件を報じる記事に友達が私をタグ付けした。私は普段、黒人女性に対するこういう差別についてはしつこく文句をいうが、この件については何も言う気にならなかった。ここ2年ほど、自分のキャリアのために必要と思われることならなんでもやろうとしてきたジョーンズの態度(とくに、Saturday Night Liveで奴隷制の時代に黒人女性が強制的に妊娠させられていた件について面白おかしく話した件)や、その他にも黒人女性に対する人種主義的なステレオタイプを広げてきたことを考えると、彼女について何か書こうと思えなかった。彼女の黒人性のパフォーマンスは白人のまなざしのために作られたものなのだと知っていた。わたしにとって、それは耐え難い攻撃だった。

 

しかし、今週の初めにジョーンズが「ゴースト・バスターズ」の公開以降、大量の攻撃的なツイートを浴びせられ、ツイッターを退会することにしたと発表したとき、私は激怒した。彼女がハリウッドで生き残るためにどんな政治に与してきたとしても、性差別的かつ人種主義的なツイートで彼女を辱め、沈黙させようとするキャンペーンの被害に合っていい理由にはならない。ジョーンズと共演した3人の白人の女優たちは沈黙を貫いているのは特筆すべきことだ。主流の白人フェミニストも、やはり同じだ。

でも、この件について、白人のフェミニストが沈黙を守っていることは別に驚くべきことではない。黒人の女性たちは、白人のフェミニズムは白人女性が白人男性と同等の権利と機会を得ようとするもので、全ての女性の解放のために闘うものではないということをずっと前から知っている。だから、ティナ・フェイやレナ・ダナムが、ツイッターの140字のメッセージで連帯を装っていることにも全く興味がわかない。ジョーンズへの攻撃を煽ったことを理由に、悪名高いツイッターアカウントのMilo Yiannopoulousがツイッターから永久追放されたことには安心したが、私はこの件を通じて、黒人コミュニティの中のミソジノワール(ミソジニーmisogyny+黒noir、黒人女性へのミソジニー)の親戚、カラーリズム(黒人の中でも、肌の色の明るいほうが「良く」、ダークな肌は「美しくない」とする見方)について議論したい。

肌の色のトーンにかかわらず、黒人の女性たちはインターネット上で匿名の人種主義者のアカウントから、数えきれないほど攻撃を受けている。しかし、ジョーンズが受けたようなハラスメントを受けるのは、彼女のような容姿の黒人女性だと正直に認めないといけない。180cm近い身長で、ダークな肌色、幅の広い鼻、厚い唇。ジョーンズが攻撃の対象になったのは、単に彼女が黒人女性であるからではない。彼女が黒人に関連付けられる特徴を持っていたからこそ、攻撃の対象になった。

ジョーンズの代わりにマーヤ・ルドルフが「ゴースト・バスターズ」にキャスティングされていたら、こんな攻撃を受けることはなかった、なんてことは言わないが、ユダヤ系の父親とアフリカ系の母親のもとに生まれた女優に対して、ゴリラの写真を送ってくるやつはいなかったはずだと言いたい。ジョーンズに向けられた攻撃は戦略的だった。ジョーンズは「安全な」攻撃対象だったのだ。黒人コミュニティの内外で、カラーリズムが抑圧的な効果をもっている状況では。

これはショービジネスを考える上では特に重要だ。ダークな肌色の黒人女性は、ハリウッドではコメディしか出演できず、笑いのために男性化され、脱人間化され、価値を下げられる。Redd Foxxが、Estherおばさんを演じるLawanda Pageを「ゴリラ」と呼ぶのを、観客は大笑いして見ていた。Martin Lawrenceも、長い間、Tichina Arnoldの演じるキャラクターを馬と呼んでいた。Living Singleというテレビシリーズでは、Erika Alexanderが演じるMaxineの男っぽさはいつも笑いの種になっていた。ディズニーの「ザ・プラウド・ファミリー」では、アニメになっても、ダークな肌色の少女は仲間はずれにされると示している。

私たちがジョーンズを、うるさく、強く、男性的な振る舞いをしていると批判するとき、まずジョーンズのような女性に対するステレオタイプを私たちのコミュニティが持っていることを考えないといけない。ジョーンズに、彼女が黒人女性のステレオタイプを演じていると気づいてほしいと望むとき、私たちはまず、私たちが彼女に対して持っているバイアスを考えるべきだ。私たちはレズリー・ジョーンズのような女性を守らない。私たちの中のあまりにも多くが、ジョーンズが攻撃を耐えているのを、自業自得だとお茶を飲みながらただ見ているだけだ。白人男性が彼女の心を壊すのを、ただ遠くから眺めている。

ビヨンセが白人フェミニストから批判された時や、Zendayaがツイッター上で脅迫された時、私たちはたくさんの考察やツイートや反論をした一方で、ジョーンズに対してはそれがない理由の一つは、ジョーンズが私たちに有害な形で黒人性を演じているからだということもできるかもしれないが、それは安易だ。私たちのコミュニティは、ダークな肌色の女性を窮地に追い込む共犯者だったと認めないといけない。私たちはレズリー・ジョーンズのような容姿の女性を嘲笑し、攻撃し、貶めてきた。私たちは、彼女のようなダークな肌色の女性は白いアメリカにとってと同様、私たちにとっても価値が無いとして、彼女を守らなかった。

ジョーンズが、ダークな肌色の黒人女性に女性性、好ましさ、傷つきやすさを許さない世界と対峙している今、彼女が黒人女性のステレオタイプを補強してきたことについてちゃんと説明しろとは言えない。白いアメリカが彼女をターゲットにしたとき、私たちのコミュニティがそれに与したことを無視はできない。人種主義という箱の中にはミソジノワールの箱があり、更にその中にカラーリズムの箱がある。この全ての箱を開く準備ができるまで、対話は不毛だ。