読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

feminism matters

英語(とたまに韓国語)のクィア・フェミニズム系記事の翻訳の貯蔵庫。

みんなのためのトイレのジレンマ

 [한채윤의 비 온 뒤 무지개] 모두를 위한 화장실의 딜레마


[ハン・チェユンの雨の後の虹]みんなのためのトイレのジレンマ

2016/7/20
ハン・チェユン 韓国性的少数者文化人権センター活動家

原文はこちら http://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/753187.html#csidx1fdca1bc19511d0a88d972732c9c2e8



昨年5月、ソウル江南の男女共用のトイレで起きた殺人事件を受けて、すべての公衆トイレを男女別トイレにしなければならないという動きが本格化している。シム・ジェチョル議員(セヌリ党) は、男女別のトイレを法的に義務付ける法案を提出し、「江南駅通り魔殺人防止法」という別名まで付けた。ソウル市も男女共用トイレの分離を積極的に勧めすることにし、全国の児童と女性安全ネットワークは、さらに一歩進んで、公衆トイレで起きた犯罪はさらに厳しく処罰するよう求めるキャンペーンを展開している。一方、実際に危険なのは、男女共用のトイレではなく、女性に対する嫌悪と差別であると指摘する声も多い。トイレで発生する隠しカメラ設置やのぞき、性暴行などの犯罪はすでに男女別のトイレでも発生しているので、根本的な対策にはならないということだ。

 
実際、男女共用のトイレで感じる日常的な不快感は、男性用便器からの臭いや他人の視線を全く意識せず排尿する姿、そして洗面台を通り過ぎ手も洗わずに出て行く姿などだ。トイレが男性専用、女性専用に分離されたといっても、依然として利用者のマナーや清潔管理状態によって、不便さや不快感は変わらないだろう。安全を中心に考えれば、外のドアだけ閉じれば中で何が起きてもわからない二重構造のトイレよりは、便器と洗面台が両方一つの部屋に入っていて、ドアを開ければすぐに外に通じる一人用のトイレが複数あるほうがマシだ。こういうシステムなら、隣のトイレに自分と同じ性別の人がいようと、違う性別の人がいようと関係がない。公衆トイレで重要なのは、誰もが気楽に、安全に使うことができ、そして衛生的であることだとすれば、私たちは、この問題に関して、男女という性別の二分法に留まるのではなく、多様な人々と多様な状況を想像することができる、性について中立的なトイレを考えることから初め、どんな公衆トイレを作り、運営していくのかを話し合い、模索していくほうが、むしろ実際的な案だと言えるのではないか。盗撮や性暴力、殺人などの凶悪犯罪は、男女を分離するだけで解決するものではないのだから。

このような状況だから、現在アメリカで「トイレ戦争」と呼ばれるほど激しく争われている法廷闘争にも注目すべきだ。アメリカは、2010年にトランスジェンダーの学生が大学のトイレで暴行を受けた事件以降、差別のないトイレについての議論が本格化している。性に中立のトイレというのは、男性用の小便器がなく、出入口の男女別のサインのない代わりにどんなジェンダーの人でも使用できるというサイン(All-Gender)もしくは単にトイレ(Rest Room)という単語が表記されたトイレのことだ。ホワイトハウスだけでなく、シアトル、ニューヨークなどでもますます性に中立なトイレが広がっているが、性別分離に固執する場所もなかなか減らない。2015年にテキサス州ヒューストンでは、人種や民族など15の理由に基づいた差別をなくすための平等条例を制定したが、反対団体の組織的な妨害に会い、結局廃止された。保守的なプロテスタントを中心とする反対派は、平等条例を「トイレ法」「Any Men Anytime」と蔑んだ。そうして、この条例により「どんな男もいつでも」女子トイレに入ることになると体臭の恐怖を煽った。この条例が、トランスジェンダーの女性が女子トイレを利用することを保証するという理由でだ。さらに2016年4月から、ノースカロライナ州は出生証明書に記録された性別のトイレを使用しなければならないという法を作ることまでした。トランスジェンダーの公衆トイレ利用を事実上抑制する法である。さらに、あらかじめ性的マイノリティ差別禁止条例を発議できないよう決定も下した。

公衆トイレは、その言葉通り誰でも使用できるものでなければならない。そして「誰でも」つまり「全ての人間」についてのより広い想像力と理解が必要だ。しかし、今の韓国のトイレ改革家たちは、男女でトイレを厳格に分離することが世界を救うというような話をする。大通りだろうと路地だろうと兵器で排尿行為をする男性たちをみると、私には男女別のトイレが犯罪を減らすとか、性の平等を実現させるなんていう話はまったく信じられない。そういえば、2015年に教育部が作った性教育教材には、性暴力を予防する方法として「男女が二人きりでいる状況を作るな」と書かれていた。時代を逆行している。必要なことは、厳密な分離ではなく、むしろ恥の心だ。差別とフォビアと暴力をトイレの中に閉じ込めないよう。