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feminism matters

英語(とたまに韓国語)のクィア・フェミニズム系記事の翻訳の貯蔵庫。

なぜセルフケアは重要なフェミニスト的行動なのか

Why Self-Care Is An Important Feminist Act

なぜセルフケアは重要なフェミニスト的行動なのか

 

JR Thorpe

2016/12/14

 

原文はこちら。https://www.bustle.com/articles/200074-why-self-care-is-an-important-feminist-act?utm_source=facebook&utm_medium=partnerships&utm_campaign=huffpostwomen

 

私たちはBustle上でセルフケア、とりわけメンタルヘルスの管理という文脈で、よく話しています。セルフケアは、鬱や不安、その他日常の困難に直面している人たちを助ける上で非常に重要だからです。しかし、より広い文脈では、セルフケアとは、Psychology TodayのChristine Meinecke医師の素晴らしい定義によると、身勝手に振る舞うことや自分を甘やかすことではなく、「感情的、精神的なストレスの原因になるものの影響のバランスをとるため、行動を選ぶ」ということであり、それは広く一般に重要であるだけでなく、根本的にフェミニスト的な考えです。

 

フェミニスト運動のためのセルフケアという考えが広まってしばらく経ちます。たとえば、Everyday Feminismは、活動家たちが運動を頑張りながら、自分たちを精神的に健康的に、強く保つための素晴らしいガイドを持っています。しかし、セルフケアは見た目よりもずっとラディカルな考えです。この世界で女性として生きる自分を大切にするというその行為は、それだけで女性嫌悪的、性差別的な思い込みへの抵抗です。天才的な作家でありフェミニストのオードリー・ロードはかつて言いました。「自分をケアすることは、自分勝手に振る舞うことではなく、自己保存であり、それは政治的な戦闘行為です。」

 

女性として生きる自分のセルフケアという考えは、女性は他者をケアする存在であるという家父長的な規範、そして、女性の感情や痛みは些細で、注意を払う必要がなく、重要ではないものという思い込みを侵害します。あなたがフェミニストなら、自分の生活の中でのストレス(その多くの原因は女性嫌悪にあるかもしれません)を、お風呂に入ったり、散歩をしたり、良い本を読んだりすることでバランスを取ろうとすることは、政治的であることからの一時的な戦線離脱ではありません。それ「こそ」政治的な行為です。なぜか?

 

女性は歴史的にケアを与える存在であり、自分をケアする存在ではなかった

女らしさの「目的」とは何でしょうか?これはフェミニズムにとって根本的な問いの一つです。その答えを見つけることは難しくありません。過去から現在までの多くの社会や文化において、それは女性を他者に従属させ、面倒を見るようにさせるためなのです。

 

古代ギリシャの政治家デモステネスはいいました。「高級娼婦を快楽のために、女性奴隷を家事のために、妻を正統な子孫を残し、家庭を護るために。」言い換えれば、女性は男性と子どものニーズと要請に応える存在で、自分のニーズは二次的なもの(もしくは一番最後にくるもの)なのです。このシステムは法律という形もとっていました。“coverture”という概念がそれです。この概念のもとでは、結婚すると、妻の人格と権利は完全に夫のものに一体化されました。この概念は、英米法に長く有り、アメリカの一部では1960年代まで存続していました。

 

これらは広く蔓延した考え—女性は生まれつき、自分を大切にするより、他者を大切にするほうが向いている存在—のたった2つの例でしかありません。過去30年ほどの間に、私たちは多くの場合女性によってなされる、経済的に報われることのない他者をケアする仕事について語るために「感情労働」という単語を生み出しました。(ガーディアン誌に書いたRose Hackmanによれば、感情労働とは「繰り返しなされる、大変なのに価値を認められない、ジェンダー化された行為。」)女性は、育てられる人よりも育てる人と考えられ、それによって多くの制限を受けています。女性は給料が不当に低くても看護やサービス業といった「ケア」産業に行くのが当然で、より感情労働を必要としない他の分野、たとえばSTEM[科学・技術・工学・数学]には向かないものであると言われます。

 

もし、「でも女性はそういう分野が得意というだけでは」とあなたが思うとしたら、それは必ずしも常にそうではないと言っておきます。ある研究によれば、ジェンダーによる期待は、子どもたちが社会化していく方法、とりわけ感情について、大きく影響をあたえると明らかになっています。言い換えれば、女性は幼いころから他者の感情により敏感であるように、男性は自分の感情を抑えるように、訓練されるのです。より男女平等な社会では、この感情的なバランスの悪さも目立たなくなります。

 

この文脈で、「私は自分を大事にする」ということは、極めて抵抗的な行為です。それは、女性はまず第一に他者の感情的・実際的なケアをする存在であり、女性が自分自身のため、自分のキャリアや健康のために時間をとることは「悪い」「怠慢」だという、何世代にも渡って繰り返されてきた文化的なトレーニングに抗うことだからです。

 

運動は強い闘士を必要としている

セルフケアの欠如は、自分のニーズをいつまでも最後に回し、無視し、そのための余地をなくし、自分の欲望が重要なものであるという考え自体を押しつぶしてしまう人間を生み出します。それは健康的な精神状態を生み出すために効果のある方法ではありません。Fort Garryの女性資料センターは、自分を大事にすることの欠如により、女性は「より不幸に感じ、自尊心が低くなり、怒りを感じる」ようになると言います。そういった感情は、精神的に安定して幸せを感じる自分とはかけ離れたものです。

 

充足していてエンパワーされている女性だけがフェミニストとして変化を起こすことが言える、というのはまったくおかしなことです。傷つけられ、怒り、自分たちの中でさえ疎外された人たちこそ、大きく大事な声を持つもので、誰かを排除するという考えは生産的ではありません。しかし、デモに出かけて他の女性に声をあげたり、記事を書いたり、クリスマスの席で性差別的な親戚のおじさんと口論になったりするときでさえ、その過程であなたが自分のことを自分で面倒をみないなら、あなたにそんなことをするように期待するのはフェアではありません。

 

あなたが前線に立っている活動家であろうと、自分の生活圏でフェミニストであろうとする人であろうと、あなたが自分を大事にし、休息の時間をとり、Psych Centralの言葉をかりれば「自分の体の声を聞き、ためらうことなく自分のしたいことをする」ことは重要であり、まさにフェミニズム運動のコアでもあるのです。家父長制に抗うことはそれ自体すでに大変なことです。それをしながら、自分自身のニーズにまで抗うことは、その闘いをより困難にします。フェミニストの詩人アドリエンヌ・リッチが言ったように「座り込んで、涙を流しながら、それでも戦士だとみなしてくれる、そんな人達のそばにいるべきです。」

 

感情の健康はリアルの健康

現代社会において、男女どちらについても、感情的な痛み、トラブル、労働、疲れといったものが正当なものとみなされないことはしばしばあります。Psychology Todayに記事を書いたLeon Seltzer医師は、なぜ感情的な居心地の悪さがしばしば意識的に脇に置かれてしまうかについて鋭い考察を行っています。「否定、退避、自己疎外といった傾向は、深く感じられる感情的な痛みに対しての普通の反応」だと彼は言います。そして、感情的な披露を他者に見せることはしばしば「相手に自分が弱く見られるかもしれないという恐れ、そしてそれによって自分が弱く、無気力に感じてしまう恐れ」によって妨げられます。さらに、彼はここにジェンダーが関係しているといいます。男性が、男らしさに傷がつくことを恐れて痛みを打ち明けないのに対し、女性の場合は、自分の感情的な落ち込みを打ち明けることは、しばしばその配偶者から「考え過ぎ」とか、より一般的には「敏感過ぎる」と言われることに繋がるのです。

 

言い換えれば、セルフケアが必要な立場にあるということは—それは人間、特に女性にとって普通の状態ですが—それ自体というよりも、弱さや傷つきやすさとみなされるということです。フェミニズムの文脈で科学的なジェンダー差について話すことは厄介ではありますが、男女が感情を処理する方法に違いがあるという研究結果はあります。他者の感情を読むことは女性が教育を受けて身につけるものである一方、女性が恥や後ろめたさ、拒否とといったネガティヴな感情的刺激に対し、反応がうまくないという考えには生物学的な根拠があるようなのです。つまり、感情の与えるネガティヴなインパクトは女性にとって深刻な問題であり、そしてとても現実的な問題なのです。私達自身の世話をすることは、「弱さ」や「敏感さ」の問題ではありません。それはこの世界に生きることの現実なのです。

 

女性の痛みはしばしば「馬鹿らしいもの」として無視される

感情的な痛みから身体的な痛みという多大なセルフケアが必要なもう一つの痛みに目を移せば、ここでも女性の痛みは無視されるということが見えてきます。セルフケアは、結局、感情的なものだけではないのです。多くの女性にとって、それは自分自身を浮上させておくためのものです。慢性的な痛みは、とりわけ女性の間で、診断や治療されないままであることが多いという研究結果があります。なぜなら、女性が痛みを訴えると「大げさだ」と言われがちだからです。

 

自分の健康や痛みについての女性の認識は、その苦しみの身体的なリアルにおいてさえも、いつも無視され、真剣に取り合われません。2015年にアトランティック誌に掲載された記事—著者の妻が卵巣捻転による強い痛みからERに運ばれたものの、ちゃんとした対応を受けられなかったことについての記事—は似たような経験をしたことのある世界中の女性たちが自分たちのストーリーをシェアするきっかけになりました。2016年の調査では、同じレベルの痛みを受けてそれを表現した場合、ERでの対応に男女で大きな差があることがわかりました。男性が治療されるまでに49分、女性は65分。このような世界では、自分の痛みを見つめ、感じ、それに対処するために休息を取ることは、極めてフェミニスト的な行為です。

 

セルフケアは自立したアイデンティティの現れ

フェミニズムとの付き合いの長い人なら、1986年に登場した「フェミニズムとは、女性は人間であるという過激な考え方」という定義を耳にしたことがあるでしょう。セルフケアの重要なポイントは、自己という部分です。あなた個人です。姉妹として、妻として、ガールフレンドとして、パートナーとして、信頼できる友人としてのあなたではなく、ただ純粋に、女性であるあなたのことです。他者によって定義されるメカニズムではなく、あなた個人としての自己のニーズや欲するものに耳を傾け、まず自分を大切にすることが、どんな文脈でも絶対に、自分の重要さや全体性、あなたという個人のこの世界での重みをしっかり認めることなのです。

 

あなたが他者と良好で、健康的で、対等な関係を築いていればセルフケアは必要ないというわけではありません。フェミニストであることは孤島に住むことではなく、実際、セフルケアの重要な部分は、イギリスのメンタルヘルスの団体MINDが推薦するように「あなたの社会生活を豊かにする」ことです。しかし、リラックスして、散歩をしたり、友達を読んだり、くだらないテレビ番組を見たり、なんでもあなたが元気になれることを頻繁にすることは、あなたに価値があり、あなたのニーズはちゃんと応えられるべきものであるという証明になるのです。