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feminism matters

英語(とたまに韓国語)のクィア・フェミニズム系記事の翻訳の貯蔵庫。

お行儀の良い女性大行進という神話

The Myth of the Well-Behaved Women’s March

お行儀の良い女性大行進という神話

 

2017/1/24

Jess Zimmerman

 

原文はこちら。https://newrepublic.com/article/140065/myth-well-behaved-womens-march

 

1789年10月5日、7000人を超える女性の大群——魚売り、パン屋、市場で働く女性から、郊外の婦人用帽子をかぶった上品なブルジョワ女性まで——がパリからベルサイユまでの12マイルを、ルイ16世の食料庫を開放することを求めて行進しました。この行進をパレ・ロワイヤルで計画した女性たちは、食糧不足、とくに王が数日前に護衛のために贅沢な晩餐会を開いたという噂に憤っていました。女性たちは、一緒に街を救うと誓いました。「私たちがやれば、明日にはもっとマシになる!」

 

熊手や槍、盗んだ大砲やマスケット銃、台所から持ち出したナイフで武装した女性たちは、パリを出発して6時間の旅の途中、ラファイエットに率いられたフランス軍を含む支持者たちを集めました。護衛の義務は王を守ることでしたが、多くが女性たちの主張を支持し、もし彼女たちと行進することが許されないなら任務を放棄すると脅しました。ラファイエットはベルサイユ宮殿に、彼が部下を率いて王のもとに行進すると警告を発しました。

2017年1月21日、女性たちは再び、世界中の他の都市の人々とともに、パリで行進しました。アイスランドから南極まで、そしてアメリカ国内では数百万の女性たちが行進に参加しました。これまで確認されている限り、誰も逮捕されませんでした。私が少なくとも50万人と一緒に行進したワシントンDCでも、さらに50万人近くの人が行進したニューヨークでも。短気で知られるニューヨーク警察さえ、友好的だったと言います。予想以上に人手が多く、行進の一部がキャンセルされ、それでも25万人が参加したというシカゴでも。警察暴力について司法省による調査を受けているシカゴ警察さえ、行進の参加者の誰も捕まえませんでした。実際、警官たちは笑ってデモ参加者と自撮りをしたり、ハイタッチしたりさえしました。

メディアや企画者、参加者たちは口を揃えて、「女性大行進」が平和裏に進んだことを誇ります。(その一日前、200人を超える人達が就任式に抗議しているときに逮捕されましたが。)彼女たちはそれを、礼儀正しさ、行儀の良さ、女性の優越性で説明しようとしました。パレ・ロワイヤルで抗議の計画を立てた上品な女性たちのように、「だから女性に全部任せろと言ってるじゃないか!」ソーシャルメディアで一部の人達が叫んでいます。

ベルサイユで、ルイ16世は個人の護衛のための部隊を持っていましたが、抗議者を鎮圧するなと命令を出し、結局全員を免職しました。代わりに、抗議者に食料を与え、パリの食糧不足に対策をすると約束して、事態を収拾しようとしました。王は、集まった人々を散らすために部隊を使うことができましたが、女性の大群に発砲することは懸命ではないと判断したようです。情勢は彼に不利でした。

就任式の翌日、DCの通りにはほとんど障害物はありませんでした。車を通りの脇にちゃんと誘導するように置かれていたブロックの多くは撤去され、抗議参加者が自由に動けるようになっていました。Black Lives Matterの集会では見かけるような、暴動鎮圧のための威圧的な警察の一団もいません。警察は分散し、遠くから見ていました。ある地点では、馬に乗った警官が混雑した7番通りを進んでおり、一番の脅威といえば馬があとに残していくものでした。「馬のクソに気をつけて!」と私たちの後ろにいた女性がメガフォンで叫びました。私たちは「本物のクソにも、このクソな状況にも!」とコールを返しました。

7番通りは許可を受けたルートではありませんでした。参加者が溢れ、予定されていたルートはすでに女性で埋まっており、私たちは歩ける空間を求めてモールの方に流れたのです。もしこんな日にダウンタウンを車で移動しようとしていた馬鹿な人がいたなら、私たちはその交通の妨げになっていたでしょう。ぎゅうぎゅうになって進まないといけない時もありました。この通りを歩くなと言われても、そうしようとしても従うことは難しいような状況でした。それでも、警察の一団は何も言わず群衆の間を通っていきました。馬の糞を垂らしながら。

そうです。土曜の行進は非常に行儀が良かったのです。でも、いつからそんなことが大事なことになったのでしょうか?ジョン・ルイスは、セルマで行進し、死にかけになるほど殴られました。イーシャ・エヴァンズがバトンルージュで武器も何も持たず警察の前に立った時、警察は手錠を突きつけました。警察が抗議者を逮捕したいなら、警察は喜んで彼女を犯罪人に仕立て上げるでしょう。たとえば、彼女に「どけ」と命令しつつそれが実際には不可能な状況に追い込むとか、何か違法なことをでっちあげるために身体検査をするとか。(ワシントンDCの行進では、8 x 6 x 4インチ以上のバッグは持ち込むなというアナウンスが運営側からありました。多くの参加者は大きなバッグはコートの下に隠していましたが、警察がチェックしていたなら、逮捕する言い訳になっていたでしょう。でもどの警官もそんなことはしませんでした。)行儀が悪いと逮捕されることはありますが、行儀が良いからといって逮捕されないとは限らないのです。警察が誰も逮捕しなかったとしたら、それは警察にそのつもりがなかったというだけなのです。

「女性大行進」の写真を一目でも見ればその理由がわかります。あのピンクの帽子を着ていた多くは白人でした。53%の白人女性がトランプに投票したということを思い出させてくれたサインをもったある抗議者の写真は、あとでネットで広がりました。普通の行進の参加者たちは、ジョン・ルイスとも、イーシャ・エヴァンズとも似ていませんでした。普通の行進の参加者たちは私に似ている人たちでした。白人のレディです。私が、警察が逮捕したいような人に見えなかったなら、それは私や警察が法律をよく守っていて行儀が良いことの証拠ではありません。それは、いかにこの国の性差別が人種主義を悪化させ、人種主義が性差別を悪化させているかということの証拠です。それこそまさに私たちが抵抗しなければならないことです。

白人女性の安全を守るというお題目は、長い間ずっと抑圧を正当化する言い訳や道具として機能してきました。実際、あまりにも私たちの安全が神聖化されすぎているせいで、私たちはときに自分の意に反してさえ守られる事があります。それはその人を守っているのではなく、(家長の)財産・所有物を守っているのです。白人女性の中には、それに満足して、他の人を抑圧するためにこの構図を使おうとする人がいます。お気に入りのおもちゃである分、白人女性は、少なくとも人間扱いされず、使い捨ての労働者扱いされる人たちよりも優位にたった気分になれるのです。トロフィー扱いされて箱に閉じ込められることを認識している人もいます。ですが、好む好まないに関係なく、私たちはこのうさんくさい特権を持っているのです。繊細で、価値のある所有物として扱われるという特権です。

白人女性の安全は、リンチの言い訳に使われてきました。エメット・ティルは白人女性に向けて口笛を吹いた…もしくは、少なくともそれが白人のモブが彼を殺したときの理由でした。白人女性の安全は、ネオナチの動力でもあります。白人ナショナリズムは「白いアーリア人女性の美がこの世から絶滅するのを防ぐ」ための方法だというスローガンさえあります。トランス女性が安心してトイレを使う権利を拒絶する言い訳としても使われます。ペニスをもっている、もしくは過去に持っていたことがあるかもしれない誰かが、すぐそばにいるということだけでも、「我々の娘と妻」への身体的脅威だというのです。また、「白人女性を守ること」は、白人女性自身の権利を制限しさえします。彼女たちは常に、物静かで、お飾りで、純粋でなければならないのです。そしてこれは、黒人女性に対する数え切れないほどの不正義を加速させます。黒人女性は肌の色ゆえに白人女性の脆さへの脅威とされ、性別ゆえにモノ扱いされるという、人種主義と性差別の交わる地点に立たされています。

警察が防弾チョッキと警棒を持って黒人の男女の前に立ち、違法行為をでっち上げてさっさと罰しようとする時、その暴力の前提には、この抗議者たちは「危険である」という思い込みがあります。何に対しての危険なんでしょうか?財産・所有物に対して。ときに、「コミュニティ」とか「平和」とか「我々の子どもや家族」といった理想に対しての危険。でも、殴られている人たちだってコミュニティの人々であり、誰かの子どもや家族です。では、「我々」とは誰なのでしょう?「我々の」とはどういう意味でしょう?そうです。白人男性の白人の妻や娘です。言い換えれば、白人男性の所有物への脅威なのです。

「女性大行進」での警察とのハイタッチと、Black Lives Matter運動に降りかかる攻撃は、同じコインの表と裏です。もしあなたが、警察の珍しい親切さが、あなたが行儀良いからこそだとおもっているなら、考え直してください。それは、彼らの暴力と同じところに根っこがあるのです。あなたは繊細で、壊れやすく、恐れるに足らない存在であるという前提です。

ルイ16世が、彼のもとにやってきた数多の女性たちが何をするかを低く見積もっていた可能性はありますが、彼が護衛の任を問いたのは、怒った市民を恐れ、尊重するゆえの対策であったでしょう。人々の大群が宮殿に押し寄せる頃には、礼儀正しさではもはや間に合わなくなっていました。一人の兵士が撃たれ、一人のデモ参加者が殺され、集団が2人の王の護衛を斬首しました。王には、人々の要求を飲む以外なく、勝ち誇った女性たちは彼とその家族を、ラファイエットと軍の監視つきで、10月6日にパリに戻しました。

これはフランス革命ではありません。効果的な抗議活動のために、誰かの首を落とす必要はないでしょう。しかし、この逮捕者ゼロの抗議は、大多数は白人女性だった群衆が勝ち取ったものであるという考えは捨てなければなりません。それは、望む望まないにかかわらず、私たちのかよわさゆえに、私たちに与えられたものなのです。守られるべき存在で、深刻な脅威ではないとみなされているのです。私たちの安全こそ、私たちと、他の人々の抑圧のエンジンなのです。この「贈り物」を、私たちは自分たちのため、そして他の人達のために賢く使わなくてはなりません。もし警察が、白人女性であるあなたに触らないなら、それは褒められるべきことではありません。それは見下されているからです。でもそれはチャンスでもあります。あなたはどう使いますか?

 

 

Jess Zimmerman is a writer and editor who lives with a dog and a human in Brooklyn. She has written for Hazlitt, Catapult, the Guardian, The Hairpin, The Toast, Aeon, and others.