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feminism matters

英語(とたまに韓国語)のクィア・フェミニズム系記事の翻訳の貯蔵庫。

トランスの障害もち。トイレに入るために闘うのにはもううんざり。

I’m Trans, Disabled, And Tired Of Fighting To Get Into Bathrooms

トランスの障害もち。トイレに入るために闘うのにはもううんざり。

 

2017/3/9

Christian McMahon

 

原文はこちら。https://www.buzzfeed.com/christianmcmahon/im-trans-disabled-and-tired-of-fighting-to-get-into-bathroom?utm_term=.nodkwWjxw#.jgqEA35MA

 

5年生になるまで、他の子は学校でおしっこできるけど、自分はできないということを深く考えたことはありませんでした。慢性の身体障害をもつ子どもとして(年によって、車椅子だったり、歩行器だったり、松葉杖をついていたり)、他の子とルールが違うのは当然だと思っていました。

 

日中にトイレに行きたくなったら、保健室でお腹が痛いといって、お母さんに家に連れて帰ってもらわないといけませんでした。一度そうなると、お母さんに学校に戻してもらうのではなくて、残りの授業には欠席する事になって、他の子が「あの子はどこに行ったの」と聞くかもしれない。そういうものだったのです。幼稚園の頃から、チョコレートミルクの並んだ箱や、ジュースを見ながら、計算していました。「これを今飲んだら、放課後まで友達と一緒にいられるかな?」きっと無理。水分が必要という人間としてのニーズか、最後まで授業を受けるかを選ばないといけなかったのです。

障害者教育法(Individual with Disabilities Education Act, IDES)が1975年に通過して、私は公立学校に通い始めました。この法律は、障害のある子どもが「無料で適切な公教育」を受けられるようにすると定めた法律でしたが、あらゆる公共施設は障害のある人にアクセス可能なように作らなくてはならないと定めたアメリカ障害者法(American Disabilities Act, ADA)が1990年に通過するまでにはまだ時間がかかりました。この法律と法律の間の時間的なギャップは、つまり、私は地元の公立学校に入学したものの、その学校には私が利用可能なトイレは備え付けられていないということを意味しました。

ADAが通過したのは私が10歳のときです。テレビで、私と似たような年齢の女の子が、車椅子から這って、国会議事堂の階段を登る映像が流されて、ADAのような法律の必要性を訴えていました。障害のある人々は、この社会で完全な市民として包摂されるべきである。私たちは人間として扱われる権利がある。自分が6年生になる頃には、自分の学校に、自分が使えるトイレが作られるかもしれないと想像して、私はテレビの前で泣きました。それまで、そうやって自分に居場所ができるなんて考えたことがなかったから、泣いたのでした。

実際、私の通っていた小さい、金持ちの、カリフォルニア郊外の学校がADAに定められた通りに建物を改築したのは、私が卒業してから数年後のことでした。アメリカの人口のほぼ20%が障害をもっているというのに、当時私の学校で、目に見える障害を持っていたのは私だけだったのでした。そして私のことは優先してどうにかするべきことではなかったのです。でも、私の人生の中で、この国は少しずつ、ゆっくりと、包摂に向けて進もうとしていました。

私が歳を重ねるに連れて社会がほんのわずかに障害者を受け入れる態度を見せ始め、読書室以外にも時間を過ごすことのできる場所が増え、どんな自分でいるのが周りの人の気を害さないですむか選ぶようになり、そして30代半ば、わたしはようやくフルタイムで自分自身でいられるようになりました。障害のある女性、と周りに思われている私ではなく、障害のあるトランス男性としての自分へ。理想的なタイミングとはいえませんでした。私がカミングアウトしたのは、ちょうど、トランスの人たちがどのトイレを使うべきかという問題が全米的な問題として語られるようになった時期だったからです。

いまや、トランプ政権が、トランスの学生を保護するというオバマ政権の決定をひっくり返し、同じくトランスの人たちのあからさまな排除へと私たちの社会は急激に舵を切っています。トランス学生の保護を継続すると明らかにした州政府もありますが、ノースカロライナ州のいまだに大問題のHB2のような、アンチ・トランスのトイレ法を通過させようとしている州や地方政府もあります。

こんな政策に直面し、最高裁もGavin Grimmのケースを差し戻し[Grimmは「生物学上の」性別以外のトイレ使用を制限するグロスター郡の教育委員会の決定を訴え、すでに控訴裁判所ではGrimmの訴えが認められていたが、その根拠となったオバマ政権時代のトランス学生保護のガイドラインがひっくり返されたことを受け、最高裁は下級裁にケースの再考を求めた]、私は、私の存在自体がお荷物だといつも言われているような気分にさせられたあの学校時代を思い出しました。あの頃、公立学校のトイレから追い出されるなんていうのは私の思い出の中だけのことであって、私や、その他多くのトランス学生の未来に同じことが起こるなんて、考えもしませんでした。

トランスとしてカムアウトする以前、高校から卒業して20年の間、公の施設のトイレにはすくなくとも1つは誰でも利用可能な個室があるのが当然と思うようになったということについて、あまり考えていませんでした。手伝いが必要な人のため、大きな電動の機械に乗って移動している人のため、子育て関連の細々したものをいつも持ち歩かないといけない人のため。こういう施設はいまや普通になり、非常に多くの人にとって役立つものなので、存在感が薄れてきました。そういう奇跡を、生まれ持っての権利だと思うようになったのです。

いつも私を応援してくれる私の周りの素晴らしい人達に、実際にカムアウトする前、自分のジェンダー・アイデンティティについて頭を抱え、トイレの表記についてもたくさん考えました。でも、それ以前に、障害のある人として、いまやどこにでもある3つ目のトイレの表記——車椅子に座っている、性別のない両性具有者——にどうしたらなれるのかと考えていたので、男か女のどちらに自分が当てはまるのか、ということを考えるのを完全に忘れていたぐらいです。私のような身体を持った人たちがこの社会にどうフィットするのかというガイダンスなしに育ち、より大変でなさそうな道を進んできました。その道の途中で、障害は私のジェンダー・アイデンティティを目立たなくして、結果、不思議と自由になれたのです。

もしあなたが、障害のない、女という性を割り当てられた子どもだったとして、髪をベリーショートにして、いつも男の子の服を着ていたら、ジェンダーの規範から外れた、ゆえにその規範を脅かす存在としてじろじろ見られることになるでしょう。同じ子が車椅子に乗っていたなら、手助けやお金のかかる設備を必要としている人として、ジロジロ見られることになります。(どちらもいらないといえば、他の人のお手本となるべきヒーロー扱いです。)人はいつも、車椅子とそれにともなう物語をまず見るのです。そしてたいてい、それしか見ません。

「女の子らしくない」として目立つ要素になっていただろうもの(私の服の選び方、ヘアスタイル、買った車)は、私の障害の影に隠れました。自分としては、あまり考えていませんでした。私は単に自分が好きなように選んで、自分らしくいて、可能ならあまり目立たないようにしていただけです。

私がようやく自分のアイデンティティについて、トイレのサインにあるように2つの性別の枠組みで考え始めたとき、自分が男であるということは自明なことだと感じられました。トランスとして、それを理解するまでにあまりにも長い時間がかかったことが恥ずかしくなるぐらいです。トランスであることについて私が感じるのは恐れです。拒否されることの恐れ、基本的なモデルを超える人たちの人間性を理解出来ない通りすがりの人からの暴力の恐れ。この恐れのせいで、いつも自分の周りを注意深く見て、警戒するようになりました。

性別のわかれたトイレを使いたいという強い欲望があるわけではありません。公衆トイレはだいたい汚いし、誰もにとって心地の良いものではありません。しかしトランスの人たちにとって、今、公衆トイレは暴力に晒されるかもしれない場でもあるのです。はい、私は男性です。スカートを履いている絵のついた女性用トイレのサインじゃなく、下半身から2本の棒が伸びた顔無し人間のほうを選びます。でも、私が自分をどう思っているかではなく、嫌がらせや攻撃を受けたくないという気持ちでトイレを選ぶことになります。より混雑していない方、その日の自分の見た目により近いと思われる性別の方。一番端にある広い個室への最短ルートを進みます。誰にも気づかれないようにと祈りながら。

 

学校時代の最初の思い出は、保護者たちが自分の子どもの教室から私を追い出すよう要求している姿でした。他の子との身体的に違うせいで、「自分の」子どもの教育に支障がでるからと。私を、もしくは私が使っていた車椅子を指差すこともありました。その保護者たちにとっては、私と車椅子の間に境界線はないのです。私は邪魔な障害物に矮小化され、その教室にもともと居場所のある人(先生や、「普通の」子)にとっては不公平なお荷物。他の子どもたちが同じような見方をしていたとは思いませんでしたが、その保護者たちがやってきたときは邪魔にならないよう端に寄る習慣ができました。

こうやって書くと、私が当時思っていたよりも惨めに聞こえるかもしれません。お前が居てもいい場所ではないといつも行ってきた学校という場所に、私は居たかった。友達がいて、クラスも好きでした。この建物の中で生き延びることが、大人になってからもちゃんと包摂されて生きていくための唯一の方法だと解るぐらいには、世間を知っていました。学校にいるということは、悲壮な、でも同時に楽しい選択でもありました。

毎年、私と同じような選択を迫られる障害のある子の数は減っています。変化はしかしゆっくりです。全米規模の、ADAの基準を満たしている公立学校のデータを集めている機関はないものの、2015年の連邦の調査では、ニューヨーク市の83%もの公立小学校が、未だにバリアフリー完備ではないと明らかになりました。それでも確実に、連邦法の義務によって、そして地元からの法的はたらきかけによって、すべての人がアクセス可能な空間は増えています。しかし、少しずつ包摂への動きを感じる一方、この国が新しい種類の排除に向けて動いているというのも感じています。

学校で、私の友達は私の障害を見て、そして通り過ぎていく人たちでもありました。それはそういうものとして、良くも悪くもなく、私という全人格の一部として。私のジェンダー・アイデンティティについてもそうです。私のような存在を想定せずにデザインされた世間を行きていく上での、内在的な事実。自分の障害ゆえに上手くなったことでもあるけれども、周りの人がそれに慣れるようになるまで、進んで一仕事しようと思える事実。

でも、トイレ法案やトランス学生の法的保護の撤回は違います。こういう法律を支持する政治家やその支持者に対して、私には安全に公共空間にいる権利があるとどうやって説得すれば良いのか、どうすれば彼らが私の存在を普通で、脅威ではなく、平凡な人間だと見るようになるのか、わかりません。それでも、私のような人たち(「他者」という危険な集団と一括りにされる人たち)を人間だと認めさせるという仕事が必要なのです。

障害のある、背の低い白人男性として、それでも私はまだある程度特権をもっている方です。どんなに鮮明に、差別主義者やトランスフォビアについて想像力を働かせても、自分の物理的な存在が、物理的な脅威として受け取られることはあまりないでしょう。トランス女性やトランスの女の子、有色のトランスの人たちは、そうではありません。そういう人たちのほうが、公衆トイレで危険に直面する可能性がかなり高いのです。この事実は、「他者」の脅威ついて私たちが聞かされてきた事実と重なります。トイレはずっと、人種隔離の争われる場所であったということです。トランスの人がトイレでシスジェンダーの人を攻撃したケースは一つもないという事実も、反トランスのトイレ法の議論ではまったく無視されます。要するに、この法律を巡る議論は、誰が、ちゃんとした社会の中で受け入れられるのかそうでないのか、という議論の延長なのです。

私の学校でトイレにいけないということは、ずっと、このことを私に意識させてきました。私の存在は、周りの人たちにとっては奇妙で、恐ろしいものなのだということ。私が公共空間にいたいなら、私は自分の生理的なニーズを我慢しなくてはならない。私たちはずっとここにいるのに、わたしたちのような人たちのことはほとんど顧みられない世界を受け入れないといけない。そして私は、私よりも若い世代の子どもたちが、自分の生理的ニーズと教育のどちらかというむごい選択をしないといけないということを、黙って見てはいられないのです。

2015年、全米トランスジェンダー平等センター(National Center for Transgender Equality)は、大規模で包括的なトランスの人たちの生活についての調査を行いました。31%のトランスの人たちが、トイレを使わなくて住むように、食べたり飲んだりするのを避けたことがあるという結果が出ました。多くの子供達が、すでに、私が過去にしたのと同じ選択をしているのです。自分のコミュニティで自分の居場所を確保し続けるために、自分の人間性を否定することを学ぼうとしているのです。

私の学校で、学校のトップは私を無視しようとしたときでさえ、私の友達や私のお気に入りの先生たちは、校舎を改築する力はなかったとしても、私が元気に活動していられる場所を作ろうとあらゆることをしてくれました。抽象的ではなく、具体的に、この社会の個々人が関わり合いながら、小さな選択を重ねて作っていくものとして、未来を想像するようになりました。日常の中で、私たちはどう違いを受け入れていくのか選ぶのです。

私は、権力のある人達が、障害があるとかクィアであるとかを理由に、そういう人たちを完全な人間とみなさず、排除しようとするのを見るのにはもううんざりです。いつ自分のジェンダー・アイデンティティを隠し、自分の障害を隠すのか悩むのにもうんざり。自分が必要なときにちゃんと水分をとることができるというのは、当たり前のことではないという考えにも。でも、こういった個人的な疲労感よりも、他の人達が、子どもたちが、公共空間に存在する権利を否定する文化に適応することを強制されているということへの怒りの方が大きいのです。

障害をもつ人間として私が経験してきたゆっくりとした進歩は、私が、これがずっと広がり続けていってほしいと思うものでした。未来は、より包摂的になると信じていました。でも、上からの構造的な保護と、下からの思いやりのある人たちのサポートなしには、そのような未来が実現することはないのです。

 

Christian McMahon is a writer from Los Angeles. He is working on his first novel.