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強情で空気を読まない人

強情で空気を読まない人

A Willful Killjoy

 

2017/6/5

Katie Wall

原文はこちら。http://msmagazine.com/blog/2017/06/05/a-willful-killjoy/

 

サラ・アーメッドの新刊、Living a Feminist Life[フェミニストとして生きる]は、フェミニストになったばかりの人からベテランまで、全ての女性のための本です。フェミニスト理論、クィア理論、批判的人種理論、ポストコロニアリズムなどの研究領域で著名なアーメッドの、有色のレズビアンとしての自分の個人的な経験や、人種主義、クィア理論、障害といった話題についての本書での議論は、インターセクショナリティに貫かれています。

 

本書の表紙はすぐに目を引きます。伸ばした腕と握った拳がヴィーナスのシンボルに重ねられている、色鮮やかで、パワフルなイメージです。行動の呼びかけです。私はたくさんのページの端を折り、たくさんの箇所に下線を引いて、余白にはたくさん書き込みをしながら読みました。

本書で、アーメッドは女性の日常という文脈でフェミニスト理論を議論しながら、フェミニズムをホームへ持ち込むということを試みています。これは、現実世界のためのフェミニズムです。忙しい、仕事の多い女性のための。みんなが大学のフェミニストになる時間をもっているわけではありません。アーメッドは、多くの女性が大学で居心地の悪さを感じることが多いということを理解しています。アカデミックな言語や理論的な議論を聞くと、自分が疎外されているように感じるということを。この本での彼女の狙いは、「フェミニスト理論が、どのような意味で、フェミニスト的に生きる中で私たちが行うことであるか」を示すことで、フェミニズムとフェミニスト理論を身近で、手に入れられるものだと思えるようにすることです。

アーメッドが使う例はときに長たらしく、彼女の熱意も本の後半にかけて褪せていくように思える箇所もありますが、彼女の説得的で刺激的な文章を読むと、運動に加わろうという気持ちが湧いてきます。平凡な女性の、地に足の着いた、身近な視点から書かれた本書は、とても面白く、読みやすいものです。

本書全体を通じて、アーメッドがたくさんの具体的なモノの例を使って書いているという点は素晴らしいです。社会構造とか、ガラスの天井、塀などの物質のイメージを使って語る時、それを聞いた人の中には、そんなものは実在しないと考え、話の内容に集中できなくなる人がいるかもしれません。しかし、ガラスの天井や塀というのはリアルに存在するのです。塀とは、動きを妨げ、歴史を止める防衛メカニズムであり、そこで歴史はコンクリートのように固まります。セクハラも物質的なものです。物理的な例を用いることで、アーメッドはフェミニズムはいま・ここの、物理的な日常に存在するものであることを強調します。

アーメッドは、そろそろ楽観的な見方を捨てて、「日常的な、毎日の中の性差別」に異議申し立てをし、女性として私たちが生きているこの世界を描き直すことで、批判的に私たちの日常生活を考えるべきだと言います。フェミニズムとは、不公平で不平等な世界のなかで、倫理的な問いを考え、より平等な他者との関係を生み出し、十分な支援を受けていない人たちを支える方法を見つけ、歴史的に作られてきた家父長制の壁をぶち壊すことで、いかに女性が互いに関わり合うかということです。アーメッドは、フェミニスト運動を、人々を同じ部屋に集め、対話し、日常の中で「当然のこと」と思っていることを考え直すよう女性たちを後押しする方法として定義しています。フェミニスト運動とは、つまり、「まだ完結していないものであるゆえに必要」なのです。この集団、政治的運動は、つまりは静かな水面に、私たちの日常のあり方を拒むというアジテーションによって、波紋を起こすことなのです。

フェミニスト運動は、ゆえに、アーメッドによれば意地悪で、口うるさく、空気を読まないという性質があることを理解する必要があります。この本において、アーメッドは以前の著作の中で使った「空気を読まない人[killjoy]」という考え方をより深めています。「フェミニストになるということは、他の人の喜び[joy]を殺す[kill]こと」と彼女は書いています。「他の人が当然視して、続けていることを邪魔することです。」それは、私たちの身の回りにある性差別を明らかにし、暴露することです。女性が声をあげることを想定して作られていない世界においては、私たちと他の人達にとってマシな道を開くために、他の人の喜びを殺し、強情な[willful]存在として、立ち上がる必要があるでしょう。この意地の悪さは、否定的な感情を巻き起こすかもしれません。「強情[willful = will意志+full十分にある・多すぎる]は女の子特有のものとされています。なぜなら[男の子が強い意志を持っていても何も悪く言われないが、]女の子はそもそも意志[will]を持つと想定されていない[だから、女の子が強い意志を示すと強情だと否定的なことを言われる]。」しかしアーメッドはこの定義をひっくり返します。アーメッドは、フェミニストに強情[willful] になろうと呼びかけるのです。

空気を読まず[killing joy]、強情[willful]になることは、会話やジョークを遮ったり、人に合わせて笑うことを拒否すること、そして性差別的な文化に参加するのを拒否することです。「強情さは、流れに身を任せないぞと決めた時、なにかを妨害しようと決めた時、政治のスタイルになります」とアーメッドは説明しています。フェミニストは、何かが些細なこととして片付けられようとしていることに抗うために、しつこく語らなくてはならないのです。

また、アーメッドは、大学の学生課で多様性を促進する役職に就いて働いた経験から、いかに多様性とフェミニズムが密接につながっているかを示しています。アーメッドが、普段はあまり顧みられていない、大学内の学生の教育・支援という部門での多様性とフェミニズムの交わりについて語っている箇所は読み応えがあります。アーメッドの多様性の定義は2つです。「第1に、多様性のための仕事は、制度を変えようとするときにする仕事。第2に、多様性のための仕事とは、制度の中で当然とされていることや規範にうまくなじめないときにする仕事。」アーメッドは自分のダイバーシティ推進課での経験を例として使って、読者に、自分の日常を問い直すよう勧めます。「考えてみてください。世界が私たちを受け入れていない時、どうすればその世界について学ぶことができますか。あなたがそこに存在することが想定されていない、そういう場合どんな経験をすることになるか、考えてみてください。」アーメッドは読者に問います。

フェミニストは強情で空気を読まない必要があるだけでなく、口うるさくならないといけないとアーメッドは言います。「強情[willful]と口うるささ[snapful]にはきっと関係があるのです。」口うるさい[snappy]というのはつまり、何か限界に達して、それを弾き飛ばす[snap]ということなのかもしれません。アーメッドにとってのフェミニスト的な「弾き飛ばし[snap]」は、ほとんど支援もなく障害物ばかりなのに彼女に多くのことを強いてきた大学を去ることであったのでしょう。アーメッドは、自分がもう耐えられないと思うような世界を生み出し続けるのは嫌だという声明を出して、何かを「弾いた[snap]」のです。「口うるささ[snappiness]は、おそらく、不正を正すということを含むのです。なにか間違っていることを耐えるよう強いられている時、それを取り上げて、何かしようとすること。」アーメッドは読者に、自分たちにとっての弾き飛ばし[snap]は一体どんなものだろうか考えるよう求めます。

アーメッドは、自分のフェミニストとしてのサバイバル道具を紹介して本を締めくくっています。フェミニストとしてのセルフケアです。サバイバル道具についての文章の中に、「フェミニズムは、生き延びるフェミニストを必要としている」と言う言葉があります。フェミニストのサバイバルのための道具箱に入っているのは、耐え抜くために必要なリソースやツールを提供してきた過去の経験です。本、道具、欠席許可書、その他の空気を読まない言葉やユーモアはその一部です。アーメッドは、古典的なフェミニストのテクストの海に潜ること、自分たちの考えや感じたことを記録しておくためにキーボードや日記を持ち歩くことを勧めます。そして欠席許可書や病気の診断書を常に手元においておくこと—どんな女性も何かから離れて休息する時間が必要ですから。フェミニストは、良い友人と付き合い、支えてくれる他の空気を読まない人たち[killjoys]と繋がる必要があります。家父長的な社会のなかで生きていくことは大変で、つらいものであり、だからこそ私たちは、それをすこし軽くするために楽しい笑いやユーモアを必要としています。他の女性達と一緒に笑うことは、私たちの心の負荷を少しだけ軽くします。

フェミニズムは宿題[homework]です(自分で自分に課す宿題)。より深く考え、自分たちの個人的な生活、職場での生活を変えるための課題を、自分たちに課す必要があります。生きることは行動すること。アーメッドは挑発的に言います。「私たちは空気を読まない[killjoy]運動に進んで参加します。私たちこそが運動です。注意してよく見ておくように。」

 

Katie Wall is an Assistant Professor of Outdoor Recreation Management at Lees-McRae College in Western North Carolina. She is currently finishing her doctorate at Appalachian State University in Educational Leadership and is working on her dissertation, a feminist critique of the outdoor industry. In her free time, she teaches wilderness medicine and leave no trace outdoor ethics courses for NOLS Wilderness Medicine and Landmark Learning.