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健康じゃないのにどうやって自分を愛することができるの?

アシュリーに聞いてみよう:健康じゃないのにどうやって自分を愛することができるの?

 

 

2016/4/14

Ashleigh Shackelford

 

原文はこちら。https://wearyourvoicemag.com/body-politics/ask-ashleigh-how-can-you-love-yourself-if-youre-not-healthy

 

 

健康であること、幸せであることを誰もが証明しないといけないという考え方は、それ自体とても暴力的です。私が太った自分の体の写真を投稿する度、いつもこんなコメントがきます。「どうしてそんな見た目なのに幸せでいられるの?(そんな体で)健康なはずがないのに」「あなたが幸せなら、私は応援します!」

 

どういう意味?私が幸せかどうかなんて、私と私ととても親しい人たち以外に、どんな関係があるの?全くの他人が、私の体や私生活にコメントしてきます。ここには、美の基準と人間の基準から逸脱するものへの「覗き見」の快楽というのがあります。黒人の太った女性(的)身体は、いつもジロジロ見られ、ジャッジされます。なぜなら、私達は価値がなく、愛するに値せず、しかし同時に、あらゆる人の美にとっての便利な基準と思われているからです。どうして「あの気持ち悪い人たち」が存在するのか、どんなひどい生活を送っているのか理解したがり、さらには、どうしてこんな人達を愛するような人が存在しているのか…そんな問いを発する人たちというのは、私達の苦しみと醜さを覗き見ることを通じて、「そんな人達とは違う自分」を作ろうとしているのです。

 

私が幸せだとすれば、その事実は、美と健康について私達が信じるよう教育されてきたものすべてを裏切ることになるでしょう。幸せとは本質的に、あなたが細く、美の基準にかなう可愛さがあり、「健康」であるならば手に入れられるものとしてパッケージ化され、売られています。逆に、あなたが太っていて、あなたの身体が「健康」なるものから程遠いように思われるなら、あなたが幸せなはずもないと。

 

私は、健康と幸せを、人生の最大のゴールとし、そのために人々を常に闘わせ合う考え方に異議申し立て、政治問題にしたいのです。白人至上主義の資本主義は、私達を常に互いに競わせ合います。それが権力をめぐるものであれ、幸せ、健康、生存をめぐるものであれ。競争とは関係のない喜びを重視し、ただ存在するだけでいいという世界はそこにはありません。私たちは、幸せや健康とは、他の誰かよりも先に手に入れなければ手に入らないもので、誰かの犠牲の上になりたつもので、それを持たない人たちがいるのは大前提なのだと信じるよう教育されてきました。

 

ただ生存するために、幸せというのは必須ではありません。ただ存在するだけのために、健康も必須ではなく、権力も必須ではありません。生き延びることは、生存するために闘うことであってはいけません。私のプライドや身体は他の人の目に触れる価値があるか、存在に値するかなんてコメントされることなく、自分の体の写真を投稿し、(幸せ、健康、動機に関係なく)プライドを持つこと。それだけのことが、実現不可能なことでしょうか。

 

黒人で太った女性であることは、私の身体と私の存在は常にジロジロと評価される対象になるということです。なぜなら、私よりももっと権力がある人たちにとって、自分の幸せと健康が正しいもので、勝ち取るに値するものだと再確認するためには、私が不幸せで不健康であることが必要だからです。私がエンパワーメントされると、そういう人たちが今まで投資してきた、白人至上主義的で資本主義的な価値観を脅かすのです。私の幸せは、あの人達の幸せと同じではありません。あの人たちにとって、幸せとは権力への闘争、そして勝者がすべてを持っていくゲームなのです。ならば、私に幸せか、健康か聞いてくるなんてアホらしいのです。私は太っていて、私は存在しています。それ以上にあなたが知る必要のあることなんてありません。私も、それ以上説明するようなことはありません。