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太った人の人間性が「ヤれるかどうか」によって左右されない理由

Why Fat Humanity Is Not Governed By Fuckability

太った人の人間性が「ヤれるかどうか」によって左右されない理由

 

2017/8/10

Sherronda J. Brown

 

原文はこちら

https://wearyourvoicemag.com/body-politics/why-fat-humanity-should-not-be-governed-by-fuckability

 

少なくとも2人の女性と1人の男性が、セックスの前にヘルペスに感染していることをきちんと伝えず、病気を移したということを理由として歌手のアッシャーを訴えました。しかしアッシャーはこの件を否定していると伝えられています。この訴訟を起こした女性の1人が、身元を明かしました。彼女の名前はQuantasia Sharptonといい、太った黒人の女性です。

Quantasiaが身元を公にし、アッシャーから病気を移されたと認めたことは、いい体をした有名人の男性についての社会的な思い込み(そういう男性は、セックスのパートナーとして痩せた女性を選ぶはず、という)とかけ離れていました。多くの人にとって、アッシャーが彼女の太った体を魅力的だと思うということは、考えもつかないことであったようです。

最近、トランス女性を殺すことについて「冗談」を言い、彼のBreakfast Clubへのボイコットの渦中の人物となったLil Duvalというクソ野郎は、彼の不信感についてツイートを投稿しています。

(Quantasiaの写真とともに)「アッシャーがこれとヤッたなんて俺は信じないwwww」

「アッシャーがあの女とヤッたというのが本当だと分かるまで、あいつはゲイなんだと思うことにする」

このような感想を持ったのは彼1人ではなく、彼のファンたちがファットフォビック(fatphobic=fat+phobic. 太った身体への嫌悪・憎悪)にQUantasiaを攻撃しました。あまりの多くの人たちが、太った身体を欲望するというのは不可能であると信じ込んでおり、太った人たちは身体的な親密性を持つに値しないと思っているようです。そんな考えは間違っています。

太っている女性もセックスします。たくさん。私たちは、痩せた女性と同じぐらい、性をもつ存在であることができるからです。太った女性は、情熱やロマンスーー一晩限りの関係から永遠を誓う仲まで、そしてその間のすべてをーー経験することができるし、実際しています。優しかったり、いやらしかったり、官能的であったり、大胆であったり。私たちはそういう親密性と縁がない人達ではありません。太った女性はそんな親密性やセックスをする可能性はゼロだと思いこむことは、私達の人間性を否定しているのと同じです。

モテの政治と太っていることについての議論の中で、太っている人たちの人間性を常に前面に出していくことは重要です。太った人の非人間化と太った人たちは、ファットフォビアの前線に立たされているからです。Lil DuvalがツイートでQuantasiaを「これ」と言ったことに、これは端的に現れています。あたかも彼女が、感情を持つ人間ではなく、命のない物体であるかのような物言い。

しかし、彼女の価値や人間性は、彼女の性的・エロティックな価値によって決まるのではありません。モテは太った人の人間性の前提条件になってはなりませんし、私はQuantasiaや太った女性たち皆が経験している女性嫌悪が混ざったファットフォビアに反論するのに、彼女のような身体の女性を欲望する男がいるということを証拠として持ち出すつもりはありません。他人が私達を魅力的と思うかどうかに関係なく、私たちはファットフォビアの抑圧から解放され、存在する権利があるのです。

黒人女性へのミソジニー、肌の色は白ければ白いほどいいというカラーリズム、髪は(アフリカ系女性のナチュラルヘアーの)くるくるした髪よりストレートのほうがいいというテクスチュアリズム、体型による差別が、Quantasiaのような女性に向けられているということを忘れないようにしましょう。これらは全て絡まりあって、太った女性のモテとエロティックな価値を決めつけるのです。太った女性として、私たちはいつも伝統的な意味での魅力についての社会の基準に当てはまるわけではありません。ある種の太った身体は、他よりもより世間一般に受け入れられやすく、許されやすいのです。

アッシャーの事件についての議論は、「太った」リアーナ(Thickanna)や「太った」ビヨンセ(Thiconcé)についての熱狂、「太って」「ぽっちゃりした」自分の妻をフェティッシュ化しつつ、そんな妻を愛する自分の勇気を褒めてもらおうとインスタに彼と妻の写真を投稿した作家Robbie Trippの炎上騒ぎの直後に起こりました。リアーナもビヨンセも、Trippの妻も誰も太っていません。しかし、彼女たちと彼女たちの身体について議論するのに使われる言葉は、太った女性をフェティッシュ化する言葉でした。ファットフォビアがあまりにも強烈すぎるゆえに、痩せているとか平均的な体型の女性まで、ファットフォビアの言語や感情に巻き込まれています。

太った女性へのフェティシズムとファットフォビアを切り分けることはこんなんです。残念なことに、プライベートでは熱狂的に太った女性を求めつつ、公にはそれを断固として否定する人というのは、非常に多いのです。私達と一緒であることを隠さない人もいるでしょうが、それでも深くファットフォビアを内面化し、太った女性は誰からのものであれ関心を向けられれば喜ぶとか、ベッドでは痩せた女性より情熱的であるとか、パートナーの要求を受け入れるとか、コントロールするのがもっと簡単であると、信じている場合もあります。

太った人たちのセクシュアリティを太った人たちの人間性の証拠とする議論は、すぐファットフォビアに陥ります。モテの政治のなかに足をすくわれてしまうのです。他人に欲望されるか、モテるかどうかにかかわらず、性的な関係やロマンティックな関係から完全に距離を置くと選んだとしても、私たちは人間として尊重されるべきなのです。太った女性たちは、自分の価値を主張するのに自分のエロさを持ち出す必要はないのです。私達の価値は、男性や他人が「ヤリたい」と思う程度に魅力的であるとされるかどうかによっては決められないのです。 

 

Author Bio: Sherronda J. Brown is a native North Carolinian with an academic background in Media Studies, Women’s & Gender Studies, and African American & African Diaspora Studies. She is passionate about social justice, black feminisms, and zombies. You can support her work via PayPal and Patreon.